大正から戦後活躍したマルクス経済学者。東大教授。法政大学総長。1888年〜1980年 東京帝国大学卒業後、大蔵省を経て東京帝国大学助教授に着任。その間「労農派」の指導者として「講座派」との間に行った日本資本主義論争は有名。 1920年に森戸事件により失職するも、1922年に復職。1938年に人民戦線事件で検挙され休職。戦後東大に復帰したが1949年に退官し、以後1959年まで法政大学総長を務める。 次男の大内力も同じくマルクス経済学者で東大教授。