前回までの記事の続きです。 光市母子殺害事件の犯人の福田は前回の記事に書いたような不謹慎な手紙を、一審公判中の1999年11月から一審で無期懲役判決が出た後の2000年6月までに書いています。この手紙の送付相手のAは、1999年9月に山口刑務所の拘置所で福田と知り合います。Aが執行猶予の判決を得て、出所した後も文通は続きました。 Aが出所して、しばらくたった頃、Aの自宅に刑事2名が訪ねてきて、「最近どうだ」「ちゃんと仕事しているか」といった世間話をした後、本題が切り出されます。「ところでお前、福田と文通しとるのう。検察側から要望がきとる。一点の真実でいいから、判断材料がほしい。本当に公正な裁判…