一世を風靡したプロレスラー。 本名・金一(キム・イル) 1929年2月24日生まれ。韓国出身。 '59年日本プロレス入門。 '65年に帰国し大韓プロレスにおいて極東ヘビー級チャンピオントーナメントを企画。 日本プロレス分裂後、全日本プロレス入りするもすぐにフリーとなった。 '81年11月5日の試合を最後に帰国。 '95年4月2日、東京ドームにおける「夢の架け橋」で引退。 2006年10月26日、ソウル市内の病院で死去。
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一条真也です。『自伝大木金太郎』大木金太郎著、太刀川正樹訳(講談社+α文庫)を読みました。ブログ『史論――力道山道場三羽烏』で紹介した本を読んだら、そこに書かれてあった大木金太郎の人生について深い興味が湧いてきたのです。本書には「伝説のパッチギ王」というサブタイトルがついていますが、「パッチギ」とは韓国語で「頭突き」のことです。本書は韓国「日刊スポーツ」紙に、2006年4月10日から9月29日までの100回にわたり連載された「金一(キムイル)、私の生きざま、私の挑戦」を翻訳したもので、単行本は2006年、文庫版は2011年に刊行されました。 本書の帯 著者は本名・金一(キム・イル)。1929年…
一条真也です。『史論―力道山道場三羽烏』小泉悦次著(辰巳出版)を読みました。昭和のプロレスを愛してやまないわたしにとって非常に興味深い内容でした。著者は1960年5月14日、東京都北区生まれ。サラリーマンの傍ら、1996年よりメールマガジンにてプロレス記事を配信。プロレス史研究を深化させるにつれて、ボクシング史、相撲史、サーカス史、見世物史など隣接領域の研究も進めたそうです。プロレス文壇デビューは、2002年春の『現代思想・総特集プロレス』(青土社)。2009年より『Gスピリッツ』にプロレス史記事をレギュラーで寄稿。著書に『プロ格闘技年表事典~プロレス・ボクシング・大相撲・総合格闘技』(日外ア…
単純に迫力があった昭和プロレス 真剣勝負じゃない、八百長だ、ショーだ、と嫌う方もいます。 Yutubeなので見ると現代のプロレスとは違い、技も単純です。しかし、迫力は現代のプロレスとは、比べ物になりません。 レスラーも個性があります。力道山、豊登、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎、、、、ルーテーズ、カールゴッチ、ボボブラジル、ブルーザー、サンマルチノ、、、、 派手な演出もなく、技も現代プロレスに比べ少なく単純なのになぜでしょうか?迫力があり、引き込まれます。 ネーミングも素晴らしいです。鉄人、神様、黒い魔人、鉄の爪、ぶっ壊し屋、人間発電所、東洋の巨人、、、岩石落とし、原爆固め、空手…
matuno kuraが撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。 昭和44(1969)年3月5日 竜華機関区 車歴は↓こちら。 http://d51498.com/db/D51/D51497 車歴表によれば、1休指定を受けた直後の姿の様ですが、全体的にテカりがあって、まるで整備を受けた直後の様にも見えます。 鷹取式集煙装置は、関西本線の加太越えに備えての物でしょう。因みに機関車も鷹取工場製です。 後部標識灯用の灯具掛けが4か所もあります。原設計は前端梁のものです。 除煙板には、点検口の蓋を開いた時にそれを固定する金具があります。後年、多くの機関車はこの蓋を撤去してしまいましたが、もとも…
一条真也です。『プロレス喧嘩マッチ伝説』ジャスト日本著(彩図社)を読みました。「あの不穏試合はなぜ生まれたのか?」というサブタイトルがついています。プロレス史に残る65の不穏試合を紹介・検証した本で、興味深かったです。 本書の帯 カバー表紙には、1999年1月4日に東京ドームで開催された小川直也vs橋本真也の「1・4事変」後に場外でもみ合うセコンド陣の写真が使われ、帯には「日本プロレス界の父、力道山は言った。『プロレスはルールのある喧嘩である』と。」「前田vsアンドレ、小川vs橋本、猪木vsウィリー、髙田vs北尾・・・伝説の喧嘩マッチの真相」「あの試合を当事者が語る特別インタビュー!! 北原光…
わざわざ年の瀬に及んで久しぶりのお泊り保育(入院)で思ったことがいくつかあった。 病院食にもいろいろあって、今回退院後の食事については服薬(止血剤等)と併せて事細かい指導があった。掲載写真は摂食単位で食べるものが決められている。提供元はかのハウス食品。 そこらあたりの学校給食とは比べ物にならない。こうしてみると医療機関に対するマーケットの裾野大きさや労働者の受け皿としての公器としての役割もある。 医者もとより、看護師、薬剤師、栄養士、ソーシアルワーカーに設備管理人、清掃員、送迎運転手に医療事務員などなど、多くの人々が従事している。 ただ、そこには患者と医者という2者だけの関係だけでは病院運営は…
【1】坂口征二vs大木金太郎 1975/05/16 日大講堂 日本プロレス崩壊時からの因縁がある二人はプロレスにならなかった。 止めに入るこのモザイクかかっている若手は誰だ!? 【2】アントニオ猪木vsミスターX 1979/02/06 大阪府立体育会館 梶原一騎原作の『四角いジャングル』でさんざん煽られたミスターX。道着の上からもわかるブヨブヨの身体。素人が結んだと思える黒帯。 アントニオ猪木の異種格闘技戦を見なくなったきっかけになった試合だった。 今見ると意外と投げはスムーズだ。正体はきっとプロレスラーだろうなぁ。 【3】アントニオ猪木vsマサ斎藤 1987/03/26 大阪城ホール 前半い…
プロレスを見ないからよく知らないが、 佐藤優氏の著書でロシア訪問した時の話は面白かったな。 相手を知るのに、酒を酌み交わすというのもあるが、 それよりカジノに連れて行って掛けさせた方がその人の本質が見えるという。 合掌 フルメタル安藤@nasuno500000000·10月1日この写真いいな CDB@初書籍発売中!@C4Dbeginner東スポにも嘘を書けない日はある パキスタン政府@PakGovJapanese伝説の日本人レスラー「アントニオ猪木」さんの訃報を知り、悲しくなりました。 10年前、ラホールのスタジアムで彼に会ったときのことを鮮明に覚えています。彼は類まれなレスリングの腕前で全世…
アントニオ猪木が亡くなり約1ヶ月…当然のことだが、本当にたくさんの追悼特集記事、特集番組があり、さらに彼にまつわる単行本も、過去のものも含めて注目されました。 この10月に急逝するとはやはり予想外のことであり、その直前のインタビュー記事などを収録した本(この前紹介した堀江ガンツ「闘魂と王道」だ)もあるが、まさに「アントニオ猪木」名義で、逝去の直前に出された本もある。 おそらく、この本がアントニオ猪木の名前で刊行された本では最後ということになるんじゃなかろうか…初版奥付の日付が7月30日のアントニオ猪木「生きるために闘う」がそれだ。 生きるために闘う NFT特典付作者:アントニオ猪木株式会社 双…
極上の二見激情ブログ 格闘技裏話はお客を入れてシークレットトーク 配信はT-1、出禁、プロレスを中心に使い分け 業界全体がグル、奥野卓志は榊原信行の保身に利用された 未払いを繰り返すヤマケンが礼儀?笑わせるな t1gp23.blog.fc2.com (C)T-1 2022年11月27日(日)18時から水道橋秘密基地で「シン・T-1トークライブvol.3 二見社長×片田直久~榊原信行CEOが最も恐れる2人がマット界に直言~」を開催。 同イベントを中心に更新。 画像は、シン・T-1トークライブvol.3のビジュアルを1枚(冒頭の画像)。 第2回「T-1グランプリ」での二見と、片田直久さんのプロフィ…
アントニオ猪木デビュー60周年記念Blu-ray BOX【Blu-ray】 [ アントニオ猪木 ] posted with カエレバ 楽天市場で調べる Amazonで調べる Yahooショッピングで調べる 全てのサービスで今すぐ使える!【デジタル版ConoHaカード】 ≪購入はこちら≫ 元プロ野球選手のジャイアント馬場氏、元柔道界の星!坂口征二氏と違い、アントニオ猪木氏はプロレスラーになる前の華々しい経歴はありません。 アントニオ猪木氏は、巡業中の力道山氏に少年時代サンパウロでスカウトされた、ブラジル移民一家の子(出生は神奈川県横浜市鶴見区)。 アントニオ猪木氏は、22歳でプロレスの世界に入っ…
一条真也です。アントニオ猪木さん死去の衝撃がまだ残っています。『闘魂と王道』堀江ガンツ著(ワニブックス)を読みました。592ページのボリュームで、「昭和プロレスの16年戦争」というサブタイトルがついています。著者は、1973年、栃木県生まれ。「紙のプロレスRADICAL」編集部を経て、2010年よりフリーに。WOWOW「UFC‐格闘技‐」やBSスカパー!「PRIDEヘリテージ」などで、格闘技のテレビ解説も務め、現在は「KAMINOGE」、「ゴング」を中心に執筆。現在は発行されていない「紙のプロレスRADICAL」をわたしは愛読していましたので、当時の執筆陣の中でも若手の精鋭という感じだった著者…
テレビの地上波やYouTubeで、猪木の在りし日の姿がジャンジャン映し出されている。古舘伊知郎が猪木の死を悼んでコメントするのも観た。昨日はちょろっとだけこのことを書いて、今日はがっつり書こうと思っているのに、なかなか言葉が浮かんでこないし、タイトルも思いつかない始末だ。 僕がアントニオ猪木の存在を知ったのはもちろんテレビでのプロレス中継でだった。東京とかだと金曜夜8時放送だったが、僕の住んでいる地域では、日曜の夕方に放送されていた。初めて観た時のことは覚えていない。しかし、父親が好きだったんだろうな。それに感化されたのか僕も毎週テレビで観るようになった。 タイガーマスクが登場するまで、何度か…
アントニオ猪木=本名: 猪木 寛至〈いのき かんじ〉が79歳で逝った。俺の名前も『寛至』読み方は「ひろし」ではあるが、中学の時プロレス好きの松田先生が何かの表彰で賞状の名前を「かんじ」と読んだ時からニックネームは「かんじ」になった。 名前を書くとき、アントニオ猪木に毎回思いを馳せて来た。改めて、Wikipediaで調べてみた「プロレスデビュー、1960年(昭和35年)4月11日、興行でサンパウロを訪れていた力道山から直接スカウトされ日本へ帰国し、日本プロレスに入団。1960年(昭和35年)9月30日、本名の猪木寛至として、東京都台東区の台東区体育館で大木金太郎を相手にデビュー。1962年(昭和…
アントニオ猪木氏が亡くなりました。 これで日本のプロレス界でのBIG3が亡くなったことになります。 一人は相撲界出身の力道山氏、そしてもう一人はプロ野球出身の ジャイアント馬場氏です。そして、アントニオ猪木氏・・・。 力道山さんを街頭テレビで観た記憶はありません。小学校の頃、馬場さんと猪木さんについては隣の親戚の家でカラーテレビがあり、吉村道明、大木金太郎などと 共に外人レスラー相手に戦う彼らを毎週観てました。そうそう親父は何より 流血シーンが好きでした(笑) 閑話休題 記憶に残っているのは中学生の頃プロレス団体が二つに分かれたということ。 1972年、アントニオ猪木氏が全日本プロレスを脱退し…
2022年10月1日アントニオ猪木没 カテゴリーに猪木を分類する ベストバウトノミネート ベストバウト10発表 1位:ビル・ロビンソン戦 2位:アリ戦 3位:藤波辰爾戦(88.8.8) 4位:ストロング小林戦 5位:ビッグバン・ベイダー戦(96年ドーム) 6位:ハルク・ホーガン戦(第一回IWGP) 7位:アクラム・ペールワン戦 8位:マサ斎藤戦(巌流島) 9位:ウイリー・ウイリアムス戦 10位:ドリー・ファンクジュニア戦 僕にとってのアントニオ猪木 アントニオ猪木がいない世界を生きる 2022年10月1日アントニオ猪木没 2022年10月1日土曜日。 アントニオ猪木が死んだ。 これまで、僕は頭…
youtu.be アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース ニュースの概要 2022年10月1日朝、元プロレスラーで国会議員も務めたアントニオ猪木さんが心不全により死去した。享年79歳。 猪木さんは難病とされる「全身性アミロイドーシス」で闘病中で、2、3日前から体調を崩し自宅療養していた。 アントニオ猪木さんの略歴 1943年2月20日生まれ。横浜市出身。本名・猪木寛至(いのきかんじ)。 13歳で家族とともにブラジルに渡り、サンパウロ市近郊のコーヒー農場で働きながら少年時代を過ごす。 1960年、ブラジル遠征中の故…