高地性集落遺跡については、倭国大乱の時期とほぼ同じ時期(弥生後期の第二期)のものが顕著な形で近畿地方に残っており、これは神武の近畿侵入に対応する可能性がある。森浩一氏は、その争乱の深刻さは自身で遺跡を踏破した人しか理解できないほどで、 昔から、高地性集落のことばかり、考えている。私の場合、日本の考古学に関しては、導き手は常に古田武彦氏と、森浩一氏である。お会いしたこともないし、講演会に行ったこともないが、お二人の著作にはいつも凄いと驚嘆させられる。めくるたびに新たなアイデアがヒントが浮かんでくる。感謝のほかない。 ヤマトという地名も北部九州から移った 考古学者・森浩一、最後のインタビュー(足立…