皆さん、邪馬台国は知っていても狗奴国と言うと、知らないか、「あぁ、九州南部の…」と言われる方が居られるのですが、それが本当に九州南部の小国だったのでしょうか? それは魏志倭人伝の一説であって、広く日本国土を見ていたとは考えにくいのです。 実は濃尾平野に2世紀後半の古墳遺跡が存在していたとされる研究発表があります。 その頃と言えば、皆さんが大好きな「邪馬台国」そして「卑弥呼」ですね。 小国を統治する鬼道を使う女王のイメージですよね。 しかし、その頃には邪馬台国の勢力は、どこをどう見ても鈴鹿山脈を越えていないはずで、この濃尾平野の古墳遺跡は、どこの国のものだったのでしょうか? そんなことから私がい…