花粉の事や人込みを避けてなんか考えてて、足早に通り過ぎてくサクラに追いつけなくて慌て気味の「京都東山お花見」の途中で「子安観世音」。 今出川通の吉田神社北参道鳥居の向かい辺り、今出川通から斜めに志賀越街道が交差する角、前掛けを掛けた大きな石仏が有りお地蔵さんかなと思うと「子安観世音」。 鎌倉時代中期の石仏と伝わり、この観世音は夜な夜な勝手に動く事があり、豊臣秀吉が面白がって聚楽第の庭に移してみると夜な夜な声を発して「白川に返せ」と動くため元の地に戻し、以降「太閤地蔵」とも呼ばれたという曰く付きの観世音石仏。 今も、白川女は旧白川村の入り口にあるこの子安観世音に花を供えてから商いに出るそうです。…