かつて葉は、自分の建築にふれながら、もはや非建築であることにしか可能性はないといった意味のことを語ったことがあった。たしかに彼の建築は、一見オーソドックスな合理主義的建築によう見えて、なにか独特の雰囲気を醸し出している。例えばガラスという素材の可能性の追及こそが目的であるかのうような「インゴット」は、被膜のみに存在意義を見いだしている点で、それまでの建築とは異なるのかもしれない。しかし彼はハイテク素材にのみ注目するのではない。竹や間伐材を、その土地の素材であるという理由で、しかも新たな手法で使い、民芸調にもピクチャレスクにもならない。 考えてみれば、葉は逆説的な建築家である。キューブ、三角柱、…