トーマス・マンの小説「魔の山」には、サナトリウムのベーレンス顧問官がトルコ・コーヒーで客人をもてなしたり、臨終間近の患者に塗油式を行う司祭らが掲げる十字架を「オスマン軍楽隊」の「シェレンバウム(çevgen / tuğ)」に擬えたりする場面が出て来る。 「魔の山」が記されたのは第一次世界大戦を前後する時期であり、その頃、オスマン帝国は既に滅亡の危機に瀕していた。果たして当時、西欧の人たちはオスマン帝国とその文化をどのように認識していたのだろう? トルコ・コーヒーはともかく、塗油式の十字架をオスマン軍楽隊のシェレンバウムに擬えるところには、多少不吉なイメージもうかがえる。 また、主人公カストルプ…