1904年(明治37年)日露戦争が起こり、日本は苦戦しながらも勝利し、1905年ポーツマス条約で朝鮮半島における自国の優位の確保、遼東半島の租借権、東清鉄道南部(長春・旅順間)の経営権、樺太の南半分の譲渡を獲得しました。1906年日本政府は半官半民の国策会社「南満州鉄道株式会社」通称、満鉄を設立しました。満洲の資源開発を急ぐため、1907年満鉄調査部を設置、鉱業部を作り、地質調査機構を大連に集中、また中央試験所を設立しました。その後、数年かけ、東亜経済調査局、撫順露天掘り事業がはじまり、油母頁岩採油試験そして満鉄統計資料、経済調査資料、満洲地質資料などが定期発行されるようになりました。1940…