1575年4月から本格的にはじまった、今回の勝頼の遠征の目的は「クーデターに乗じて岡崎城を占領する」というものでした。もし成功していたら、徳川家を滅ぼせたかもしれないレベルの大戦果でしたが、それが失敗した今、勝頼としては手ぶらで帰るわけには行けません。そこで攻撃目標を、吉田城攻略&家康の捕捉・殲滅に変更するも、これも失敗。勝頼は仕方なく、第三の目標として長篠城に目を付けたのでした。 さて当時の長篠城の城主は奥平信昌です。元々、この山深い奥三河の地を制していたのは、作手城の奥平氏、長篠城の菅沼氏、田峰城の菅沼氏の三氏で、彼らはひとくくりに「山家三方衆」と呼ばれていました。 徳川と武田の国境にいた…