ほとんど毎晩、ブランコを漕ぐのをわたしだけ見ている。今夜はけっこう長いので、一度帰って見に行った。寒いけれどもうコートなしでぎりぎり行けるくらいで、小さな小さな白い花がいくつか咲いていた、と、出るときに見たのを思い出しながら。今夜は、余裕がすこしあったから、呼ばずに見ていた。見ているうちに自然に漕ぎ終えるんだろうな、と、思ったとおり。わたしのやっていることには何の意味もない、意味がないどころか、と長く深くまだ思うけれど、見る意味はあり、わたしの見る役としての責任はこれだけでいいとも言える。 ドナルド・W・ウィニコット 妙木浩之/訳『ピグル ある少女の精神分析的治療の記録』、宮地尚子 村上靖彦、…