学校に行けなくなったことを「どうして?」と聞かれるのだけど本人もうまく答えられない、ということがある。 話は全く別なのだが、何かができなくて「なんでできないの?」と問うたり問われたりした体験は多くの人にあるのではなかろうか。で、問われた側が考えてみて、できない理由を見つけて、できるようになりました、などということはあまりないだろう。例えばスポーツの苦手な人が「なんでできないの?」と聞かれても、不得意だからとしか答えようがない。これは問いの形をしているけれど、できないことを責めている言葉だと受けとる人が多いだろう。 子どもが何かをできない理由をまわりの大人が考えてみて、ああ、ここでつまづいていた…