宝永5年7月7日。卯(午前5時)過ぎ、文左衛門は源蔵・藤内と上下を着用して熱田を参詣する。神主田島丹波仲頼は知り合いであったので神垣(神域)の中に入り、廻廊に座し、御饌(神様に献上する食事)が上るのを見る。五膳前。数十人の祢宜が冠、烏帽子、覆面をして御膳を上がる(召しあがる?)。音楽があり、社僧が迦陀を読む。丹波守が祝詞・奉幣などを行う。刀・脇差21腰の御拭いが行われる。砥ぎ屋2人は上下を着ている。その中でも吉光と云々、しのぎに金の巴、象眼に入る八幡太郎の紋がある蜘蛛切丸と癬(アサ)丸・熱田国信の3腰は特に大事なものと云々。残りの三条宗近・波ノ平・豊後行平・実阿・吉光・国行・正恒などはいずれも…