反面の偽善者3 洗礼だけなら信仰ではない。儀式の過去は信仰を保証しない。 善の意識だけなら信仰ではない。できるだけ、では、安い道徳に過ぎない。 全能の神聖に向かって守っていますなんて通用しない。 人に対してほどほど善い人になるのが信仰ではない。 それは信仰の目的でもない。それは信仰の達成でもない。 信仰は道徳ではない。信仰は戒律でもない。信仰は保険でもない。 信仰の義は知っていることではない。分かっていることではない。守っていることではない。それらは神の前で人間には成り立たない。 そこを外せば信仰ではなくそこを弁えれば信仰となるのは 神聖に対する正直さだけだ。神聖に対してだけはは正直しか通用し…