そもそも堺は、遣明船貿易の拠点として細川氏が支配していた町であった。16世紀半ばには細川氏が没落し、三好氏がその後を取って代わる。だから堺には、三好氏の代官も滞在していたのである。だが、細川氏のように堺を直轄的な支配下におくことはしなかった――できなかった、というべきか。 イエズス会の報告には「この町では、敵対する勢力の者同士が、たまたま町中で出会ったとしても、互いに殺し合うことはしない」とある。戦国大名らの介入を許さなかった、この強力な自治権はどのようにして成立したのであろうか。 堺は「南荘」と「北荘」の、2つの自治組織から成り立っていたことが分かっている。そしてその上位に位置する機関として…