源頼朝が建久4年(1193年)5月に富士の裾野で行った大規模な巻狩のこと。
巻狩とは「中世に遊興や神事祭礼や軍事訓練のために行われた狩競(かりくら)の一種である。鹿や猪などが生息する狩場を多人数で四方から取り囲み、囲いを縮めながら獲物を追いつめて射止める大規模な狩猟のこと。」
頼朝はこの年すでに下野那須野・信濃三原野などで多くの御家人を動員して巻狩を挙行している。この一連の巻狩は,前年の征夷大将軍補任を受けて,みずからが武家政権の首長として相応しいことを改めて誇示したものとみられる。
「鎌倉殿の13人」の第27回「鎌倉殿と13人」を視聴した。 このドラマを見始めたころ、「鎌倉殿の13人」というタイトルは、選ばれた13人の御家人が、実質的に「鎌倉殿」であるという意味なのだろうと思っていた。 歴史音痴らしい誤解だったわけだけど、今回の「鎌倉殿と13人」を見て、もしかしたら当たらずとも遠からずだったのかなとも思った。 頼朝のあとを継いで鎌倉殿になった頼家は、訴訟の処理などの実務をうまく裁けないことや、正妻と側室の諍いなどに苛立ち、気持ちを腐らせていく。 御家人たちのほうも、苦しむ頼家そっちのけで、北条と比企の権力争いに振り回されるばかり。 ドラマを見ていると、頼家の抱える問題の根…
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第23回「狩りと獲物」を視聴した。 書くのが遅くなってしまったので、もう次回の放映が終わってしまっている。 nasneで録画できているはずなので、これを書き終わったら、見ようと思う。 (´・ω・`) ( _ _ ).。o○ 今回のメインだった富士の巻狩りでは、源氏に従う御家人たちの兵が万単位で集合したという。 どう考えても狩猟イベントという規模ではない。敵対勢力をけん制するための軍事演習だったともいわれているようだ。 頼朝の嫡男万寿(源頼家)は、建久4年(1193年)の富士の巻狩りのときには12歳だったらしい。 周囲の必死のお膳立てで、見事に大鹿を射止めたことにして…
鎌倉殿の13人 第23回 2022年6月12日放送 本編タイトル「狩りと獲物」 紀行コーナー:頼朝の井戸の森(静岡県裾野市)・曽我の隠れ岩(静岡県富士宮市)
2023年は五代目歌舞伎座の開場10周年にあたります。時が経つにつれて、歌舞伎座の背後に聳え立つ29階建ての高層オフィスビル「歌舞伎座タワー」が周囲と馴染んできたように感じます。銀座4丁目交差点から昭和通りと晴海通りがクロスする三原橋交差点へ向かう道すがらの景観もこの10年でずいぶん変貌しました。その間、未曾有のコロナ禍を乗り越えて、世代交代を重ねながら、歌舞伎界は着実に進化を遂げています。壽初春大歌舞伎は第二部に足を運びました。最初の演目は俳句の季語「初曽我」ゆかりの『壽恵方曽我』。高麗屋三代が揃い、万歳に扮した五郎と十郎を幸四郎と猿之助が務めます。お正月気分を盛り上げてくれるのは配役だけで…
ウサギは多産であることから、洋の東西を問わず「豊穣」のシンボルとされており、また「飛躍」を連想させ、さらに日本では「月」とも関係が深いことから人気のある動物で、店舗の名前などにもよく使われている。 また、可愛いし、飼いやすさからペットとしても静かな人気があり、市内には専門病院もあるくらい。 一方で、「卯」の字のつく店舗や地名は比較的少なく、 地名に至っては、阿蘇の東外輪山の地区名があるくらい。 そんな中でググってみると、南阿蘇の「卯添(うぞえ)阿蘇神社」というのがあったので、行ってみた。 午前7時半頃の日の出の時間にカーボンロードバイクで出発し、供合線を東へ走って 瀬田から立野に上がって長陽大…
親戚、旧友、親友など向けの年賀状です。 あけましておめでとうございます。 このブログのアクセス数をこれまでの記録で見ると、最高値で50くらいです。 皆様、拙いブログですが、本年もよろしくお願いいたします。 堀川紀夫 その1 新潟県上越市の日の出 7:00 日付:2023年1月1日(日) 新潟県上越市の日の入り 16:40 日付:2023年1月1日(日) 今日は珍しくお日様が出ています。10:05撮影です。 その2 元旦の雑煮。神棚に御神酒を備えてお裾分けをいただきました。御呪い(まじない)です。 その3 NHK 番組「富士山ぐるっと一周ウォーク より」 源頼朝が富士の巻狩りの際に滝に立ち寄り、…
ただいま歌舞伎座で上演中の 市川海老蔵改め十三代目 市川團十郎白猿襲名披露八代目 市川新之助初舞台十二月大歌舞伎 2020年5月に予定されていた襲名披露が、2年半の延期を経てようやく行われています。市川團十郎といえば江戸歌舞伎を代表する大名跡。新たな時代の到来を感じさせてくださる華々しい公演です。 夜の部「助六由縁江戸桜」は、市川團十郎家の家の芸・歌舞伎十八番の内のひとつに数えられるゆかりの深い演目です。團十郎さんの襲名披露狂言として選ばれ、先月とは大きく配役を変えての上演です。 「助六由縁江戸桜」については過去にお話ししたものがたくさんあり、先日まとめました。このように助六が続けて上演される…
お察しのとおりHDDの整理が佳境です。 2/12 あらびき団ゴールデンスペシャル 北京オリンピックの裏だからといってこの番組をゴールデンタイムでやっていいものか。新人からベテランまで出演してたなーというラインナップ。モンスターエンジンの神々コントは久しぶりに見られてなつかしかった。大好きだったんです。バンビーノのダンソンすらもなつかしい。キュートンもけっこう好きでした。サッとポーズ決まるのがかっこいい。メグちゃんも風船太郎さんも芸風変わらない。錦鯉やシソンヌ、男性ブランコあたりも出ていただけるんですね。かまいたちの本格コントおもしろかった。この年末もスペシャルあるそうなんで楽しみにしてます。 …
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第46回「将軍になった女」を視聴した。 (46)「将軍になった女」 Amazon 実朝が亡くなり、鎌倉殿の後継をめぐって、義時と後鳥羽上皇の意地の張り合いが続く。 そんななかで、阿野全成の遺児である時元が、鎌倉殿の座を狙って謀反を起こしたものの、義時に情報を握られていたせいで、あっという間に粛清されてしまう。 討たれる場面すらなく退場した時元の代わりに、母親の実衣が謀反に関わっていたことを厳しく追求され、処刑寸前まで追い込まれてしまう。 ドラマでは、実衣が時元をそそのかして決起させていたけれども、Wikipediaの阿野時元の記事を読むと、討手を向けられたこと…
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); こんにちは! 今日は、日本三大仇討ちについて紹介したいと思います! 日本三大仇討ちに選ばれたのは、 赤穂事件 鍵屋の辻の決闘 曾我兄弟の仇討ち の3つです。 それぞれ簡単に紹介したいと思います! 赤穂事件 赤穂事件とは、18世紀初頭(江戸時代)の元禄年間に、江戸城・松之大廊下で、高家の吉良義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野長矩が切腹に処せられた事件。 更にその後、亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央らを討った事件を指すものである。 史…
【最近読んだ本】 高橋直樹『天皇の刺客 曾我兄弟の密命』(文春文庫、2009年、単行本2006年)B 時は鎌倉時代、曾我兄弟は、父のカタキである工藤祐経を、源頼朝の主催した富士の巻狩りのさなかに討ち果たす。兄は倒され、弟は勢いにまかせて頼朝も討とうとして捕らえられる。頼朝は、敵討ちをする志を多としながらも、巻狩りの場を乱したことを咎めて彼を斬首する。しかしこの事件は、親孝行の手本、日本三大仇討の一つとして後世まで語り継がれることとなった。 しかしこの事件には謎も多い。父のカタキを討つだけだったのがなぜ頼朝まで狙ったのか、なぜ兄弟は巻狩りの場に忍びこんで頼朝まで肉薄できたのか、その直後に起こって…
源頼家(みなもとのよりいえ) ウィキペディアより 1182年 源頼朝、北条政子の嫡男として生まれる 比企能員の屋敷で生まれる。幼名は万寿。 父・頼朝はこの時36歳。待望の後継者男子としてめっちゃ祝われての誕生。 乳母父とか乳母は比企家で固められた。 1193年 頼家12歳 富士の巻狩りで初めて鹿を射る 父・頼朝が「頼家、鹿はじめて射ったで!ヒャッホイ☆」と母・政子に知らせの使いを送る。 政子「武士の長男なんやから出来てあたりまえやん」と塩対応した。『吾妻鏡』 ※実際には政子はこのような発言はしていないという説もある。 筆者は勝手に「へぇ~。良かったね。」ぐらいの薄い反応だったのではないかと予想…
たまたま電子書を探していて、こんな本を見つけました。 最近流行りの実話取材の怪談で、ご当地ものですね。 京都などはこの手の本は多いですが、やっぱり鎌倉でも少なくないのかな…… (写真は、hontoからのスクショです。まだ読んでいないので読後感ではないです(^^ゞ) 私は文学史学の研究者時代以来、地主神や地霊と語るようなフィールドワークをライフワークにしていますが、 歴史や古典文学・和歌にゆかりがある場所ですから、訪れるのは当然、有名無名を問わず史跡ですし、 史跡認定されていなくても、なんらかの由縁の地ではあるし、 別に歴史事件が起きていなくても、どこであっても歴史がないところなんて存在しないの…
19日は丸一日かけての移動だったもののほぼいつも通り目覚め、久し振りの朝湯に 浸かった後、チューハイを1本空けて階下に降りてゆっくりと朝食。 弟が迎えに来る 前にホテル周辺をちょっと散策。 いつもは新富士駅と実家の往復のため富士宮駅など来ないので、近くに富士山世界遺産 センターなんてあることは知らなかったが、行くつもりもないがこれからも行く機会は ないだろう。 こちらは駅前の富士急のバス乗り場だが、こんなPRをしているバスも何台かあった。 富士山世界遺産センターより、「頼朝の富士の巻狩り」の方が小さいころから馴染んで いる謳い文句だ。「駒留めの桜」だの「曽我兄弟の仇討」など懐かしい。 まずは実…
色々立て込んでしまい、グズグズになっていたところ。「飲みに行ってこい」と強引に話をまとめられた。飲みに行く前、朝から資格の講習受けていて頭が疲れていたんだけどさ。 馬刺しと酒は最高。生きてて良かった。 千曲川のすぐそばに「手子塚城」があった。現在は神社(諏訪社)となっている。北信五岳道路の起点や立ヶ花橋(昔は立ヶ花の渡し)のすぐそばで、交通の要衝である場所。現在は国道117号線とその旧道の間にある。 入り口はこんな感じ↑ 城の前の道路はこんな感じ↓ ちなみに、ガードレールの向こうはJR飯山線。 最初、川が流れているのかと思った。列車が随分と低い位置で走っている。ひょっとして堀跡に線路を敷いたの…
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); こんにちは! 今日は、日本五大桜について紹介したいと思います! 日本五大桜とは、1922年(大正11年)10月12日に国の天然記念物に指定された5つの桜を指す呼び名です。 日本五大桜に選ばれたのは、 三春滝桜(福島県田村郡三春町) 石戸蒲ザクラ(埼玉県北本市) 山高神代桜(山梨県北杜市) 狩宿の下馬ザクラ(静岡県富士宮市) 根尾谷の淡墨桜(岐阜県本巣市) の5つです。 それぞれ簡単に紹介したいと思います! 三春滝桜 三春滝桜とは、福島県田村郡三春町大字滝字桜久保に所在する推定樹齢1000年超の…
先日、静岡県の伊東市文化財管理センターにて行われている企画展「流人頼朝と伊東氏」を拝観しました。 企画展ポスター伊東市文化財管理センター本展は、伊東市ゆかりの鎌倉武士伊東氏と源頼朝の関係について、最近の研究成果をパネルで紹介するとともに、伊東市内の遺跡で出土した、平安・鎌倉時代ごろの遺物を紹介する展示となっていました。伊東氏といえば、流人時代の源頼朝を監視していた伊東祐親や、富士の巻狩りで仇討ちを行った曽我兄弟などが著名です。平安から鎌倉時代にかけて名をはせた伊東氏の力がうかがえる考古遺物が多く出陳されていました。東林寺は伊東氏の菩提寺として知られる寺院です。境内の朝日山経塚からは、青白磁合子…
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第35回「苦い杯」を見た。 頼家が亡くなるまで非常に影の薄かった(出てこなかった?)平賀朝雅が、悪役として一気に躍り出てきて暗躍する。 平賀朝雅は源義光の子孫で(清和源氏義光流)、頼朝の猶子でもあったという。 その上、北条時政とりくの娘の夫でもあるわけで、考えようによっては、鎌倉殿にも執権にもなる可能性がある人物、ということになる。 ドラマでは描かれていなかったけど、平賀朝雅は、実朝が鎌倉殿になった直後、京都守護として都に派遣され、平氏残党の反乱を鎮圧するなどの功績を上げたために、御家人でありながら、後鳥羽上皇に重用されるようになっていたのだという(Wikip…