序文・ここにもGHQの影が 堀口尚次 中島飛行機株式会社は、大正6年から昭和20年まで存在した日本の航空機・航空エンジンメーカー。創業者は中島知久平(ちくへい)。 エンジンや機体の開発を独自に行う能力と、自社での一貫生産を可能とする高い技術力を備え、第二次世界大戦終戦までは東洋最大、世界有数の航空機メーカーであった。 中島飛行機は、太平洋戦争末期の日本本土空襲においては主要攻撃目標とされ、多くの工場は戦略爆撃で破壊され、さらに壊滅を免れるための疎開作業で生産は停滞した。昭和20年には第一軍需工廠となり、事実上の国営企業となり敗戦を迎える。敗戦までに中島は計29,925機の航空機を生産した。 戦…