明治時代の富士大石寺と什門(顕本法華宗)と公開問答を『富什問答』といいます。明治33年10月25日、什門の田辺善知は、富士との論争を一宗を賭して実行したいと常泉寺住持・土屋慈観師(のちの日柱上人)に伝えてきました。この年は大石寺ではお会式につづき一宗独立祝賀会が奉修され多数の僧侶が在山するのを好機とみて法論を仕掛けて来たのです。田辺の手紙には、「宗祖が広宣流布の布教方法として公場対決を望まれたように、その末弟たる者もまた公論よって決着をつけるべきである。什門より富士を見れば富士は迷えるもの、富士より什門を見れば什門は迷えるものだから、法論をなすことは迷者を救護する一大美事である」という内容が書…