先日、ずいぶん久しぶりに小岩井農場に行ってきました。盛岡駅でレンタカーを借り、繋温泉で一泊してから向かいました。田沢湖線の小岩井駅から少し行った道の右側に、小岩井農場の標識がありました。 賢治もこの道を歩いて農場に向かったはずです。彼の記述によれば、当時は「火山灰のみち」だったようです。今から101年前の1922年5月21日、前回取り上げた「真空溶媒」から3日後のことです。『心象スケッチ 春と修羅』の中で一番長い、600行近い作品「小岩井農場」は次のような言葉で始まります。 わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた/そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ/けれどももつとはやいひとはある/化学の…