精神科医。1962年生まれ。 1986年東京医科大学卒。埼玉県済生会鴻巣病院精神科に勤務。2006年早稲田通り心のクリニックを開業し院長。精神保健指定医。日本精神神経学会認定医。薬物治療では回復が難しい心の病に苦しむ人々のため、従来の常識にとらわれない治療法を積極的に研究、採用している。また、両ひざをタッピングして別人格を呼び出し、融合・統合するオリジナルの治療法「USPT」を開発。現在USPTの普及にも力を入れている
映画監督。
1945年群馬県生まれ。
早稲田大学第二文学部演劇専修卒後、フリーの助監督として浦山桐郎、篠田正浩監督らにつく。
81年「泥の河」で監督デビュー。戦争の傷あとを残す大阪の川べりを舞台に、少年少女のひと夏の出会いと別れを、白黒・スタンダードの端正な画像で描き、キネマ旬報ベスト・テン第1位、毎日映画コンクール監督賞など数多くの賞を独占、海外でもモスクワ映画祭銀賞を獲得、アメリカ・アカデミー賞の外国語映画へノミネートされるなど高い評価を受ける。
以降、84年に李恢成の原作による「伽や子のために」を発表。在日朝鮮人と日本人少女との愛と別れを慈しみをもって描き、フランスのジョルジュ・サドゥール賞を日本人として初受賞。
90年、純文学の極北と称された島尾敏雄の「死の棘」を映画化。カンヌ映画祭で“グランプリ・カンヌ1990”と“国際批評家連盟賞”をダブル受賞する。
以上の3作品はいずれも1950年代を舞台としており、戦後生まれとしての“日本人と私”を問い続けた小栗康平の“戦後3部作”と位置付けられている。
96年には、自身初のオリジナル脚本による「眠る男」を発表。動かず、語らない、眠る男を映画の主人公に据えて、これまでの映画話法を根底からくつがえす作品となり、モントリオール映画祭審査委員特別大賞を受賞。群馬県が自治体として映画製作をしたこと、韓国を代表する俳優、安聖基、インドネシアの国民的な女優、クリスティン・ハキム、そして話題作に出演し続ける日本の役所広司が共演したことでも話題になった。
03年にNHK人間講座「映画を見る眼―映像の文体を考える」全8回を担当。
05年、9年ぶりとなる新作「埋もれ木」が控える。
著書に「哀切と痛切」「見ること、在ること」(平凡社)など。
フィルモグラフィー
1981年 第一回監督作品「泥の河」公開
1984年 第二回監督作品「伽や子のために」公開
1990年 第三回監督作品「死の棘」公開
1993年 NHKドキュメンタリー「往復書簡」
1996年 第四回監督作品「眠る男」公開
2005年 第五回監督作品「埋もれ木」公開
主な受賞歴
モスクワ映画祭銀賞
ジョルジュ・サドゥール賞
カンヌ映画祭グランプリ・カンヌ1990
カンヌ映画祭国際批評家連盟賞
モントリオール映画祭審査委員特別大賞
他、多数
(以上、小栗康平オフィシャルサイトより転用)