(露: Николаевский инцидент, Nikoláyevskiy Intsidyént, Nikolayevsk Massacre) ロシア内戦中の1920年(大正9年)3月から5月にかけてアムール川の河口にあるニコラエフスク(尼港、現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ)で発生した、赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件。
戦前に海外の邦人が虐殺された事件が複数起きています。大多数の市民が惨たらしい殺され方をしています。日本史の教科書では教えることが少ないこれらの事件・・。私達の先輩方がどのような苦難を受けたか、忘れずに伝えたいと思います。 ①1920年(大正9年)3月12日~ 尼港事件 壁に書かれた「大正九年五月24日午后12時 忘ルナ」の文字。。。 この日に、共産パルチザンは中国人の妻妾となっていた14名以外の、生き残った日本人全員を残虐に殺害し、さらに退却するときに尼港の街に火を放ちます。 長期間における殺戮と虐待・・・尼港事件の詳細は下をクリックして御覧下さい。 ②1927年(昭和2年)4月3日 漢口事件…
日本人はすっかり尼港事件を風化させてしまったが、ロシア内戦中の大正9年3月から5月にかけてアムール川の河口にある日本人統治状態にあったニコラエフスクで発生した、赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件、尼港虐殺事件や(ニコラエフスク事件)を記憶しておいてほしい。港が冬期に氷結して交通が遮断され、孤立した状況のニコラエフスクを、パルチザン部隊4,300名が占領し、停戦協定を無視して白軍を武装解除、白系ロシア人とみなしたニコラエフスク住民に対する略奪・処刑を行った。それとともに日本軍守備隊に武器引渡を要求。これに対して決起した日本軍守備隊を中国海軍艦隊と共同で殲滅すると、老若男女の別なく、最終的に…
『大東亜戦争秘録』は早坂隆による迫真のノンフィクション作品であり、第二次世界大戦という歴史的大事件の裏に隠された10のエピソードを克明に綴るものである。本書は、かつての戦争の直接の証人たちから直接話を聞き、忘れ去られそうになっていた真実を明らかにしている。特に注目すべきなのは「樺太看護婦集団自決事件」の章である。 南樺太が日本の支配下にあった1945年8月、日本軍の無条件降伏発表後も続いたソ連軍との戦闘。その中で日本人女性達が経験した絶望と悲壮感は、言葉にできないほどのものだったことを本書は教えてくれる。集団自決に至った女性たちは、交換手として任務を果たし続ける中で、侵攻してくるソ連軍への恐れ…
24時間勤務アケで職場から市ヶ谷駅まで散歩。 ◆竹橋 ◆九段下 ◆靖国神社 ◆くだんざか・うしがふち くだんざか・うしがふち 葛飾北斎 北斎は、江戸本所に生まれる。その作画領域は極めて広く、独特の高い芸術性を示しているが、寛政末頃から亨和頃にかけて西洋画の技法を取り入れた、いくつかの風景版画を描いている。 この画は画題と落款の平仮名文字を横に寝かせて、左書きにし、画面に入れたシリーズの最も代表的なものの一つである。右側の黄土色の急な坂は九段坂で、かっては”九段”のゆるやかな段がついていたという。 この坂道に面して石垣と長屋塀の武家屋敷があり、坂道には人や家々などの陰が描かれている。 その左の濃…
萩の城下町を歩いていたら第26代内閣総理大臣・田中義一の生誕地がありました。 (萩の菊屋横町) 山口県萩市の城下町・菊屋横町、、白いなまこ壁がいい雰囲気を出しています。萩の城下町は、町筋は碁盤目状に区画されていて、そこに中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋という商家が並んでいたため、城下町にある3本の横町にはそれぞれの名が残されています。その1つ菊屋横町には、藩の豪商・菊屋家をはじめ、高杉晋作の誕生地、第26代総理大臣・田中義一の誕生地があります。 (田中義一とは) 萩城下の菊屋横町で田中義一は、幕末の1864年、藩士・田中信祐の三男として生をう…
日本は、国際的地位の向上や北洋漁業などの経済的権益の拡大をもくろんで、連合国のシベリア出兵の呼びかけに応じた。 出兵は1918(大正7)年8月に始まり、アメリカ・イギリス・フランスなど連合国各国が派遣した軍隊が計2万人余りだったのに対し、日本はアメリカと合意した兵力量の10倍近い7万人余りの軍隊を派遣した。 …ニコライエフスク(尼港)で日本人住民と日本兵、約740人のほとんどが革命派のゲリラ部隊に殺害される事件(尼港事件)がおきた。日本はこの事件を契機に石油や石炭の資源獲得をねらって北樺太(北サハリン)を占領した。 (山川出版社・歴史総合)
バブル世代というのは、生まれた時に高度成長、青春時代がバブル…。 だから、若い頃から頭にお金という麻薬を打ち込まれた方、たくさんいると思います。 その方達も被害者です。 この世代の親や祖父母は戦争世代だから、子や孫に苦労はさせたくないと思って、お金を十分に与えて育てたのだと思います。 しかし、戦後の日本は赤い。 唯物主義よろしく、お金(モノ)だけあげていれば十分だと、魂を教える事を蔑ろにして来たのではないでしょうか。 私は日本共産党の方達で立派な人達を知っているのでその方達は尊重したいですが、「共産主義という思想」はその根底にルサンチマン(怨念)があると思います。 そういう意味では、ルサンチマ…
1937年(昭和12年)7月29日、中国の通州で、多くの日本人が悲惨な方法で殺されました。通州事件です。 (序章:通州事件とは) 通州事件とは、1937年(昭和12年)7月29日(木曜)に、北京市に隣接する通州と言う地区で、多数の日本人が残忍な方法で殺害された大事件です。当時、通州には、冀東(きとう)防共自治政府があり、その治安部隊である保安隊が、日本軍守備隊やそこに住む日本人や朝鮮人を襲撃し虐殺しました。犠牲になられた方の内訳は日本人114人(10歳以下12人)朝鮮人111人(同13人)です。(犠牲者数はデータにより違いあり)しかも女性は強姦されて刺殺され、子供は指を切断されたり、また一部の…
一九二〇年、月に植物があるとか、火星から無線電信らしきものが届いているといった話題の後、村井弦斎は独自の文明論を展開します。 ※ 諸国の学者が頻(しきり)に火星との通信の事を研究し始めました。中には圧搾瓦斯(あっさくガス)の放射力を利用して、大飛行機を火星まで送ったらよからうと、その飛行機の模型図まで考案して新聞に出した者もあります。 (略。以下、火星人はいるという前提のもとに) 借問す火星の人類には、地球上の如き戦争とか殺人とか、或は近頃の尼港事件の如き忌はしい残酷事件があるでせうか。 (略。地球人類の歴史は殺人の歴史であったと回顧し) 古今人類の歴史は所謂(いはゆ)る殺人の歴史に過ぎません…
弦斎が世界平和への道は婦人の力にかかっているとした、『感興録』の一節。 ※ 婦人は決して殺人とか戦争とかいふ如き残酷なる事を好むものではありません。 勿論(もちろん)今日の社会には環境の事情に化せられて、パルチザンの婦人の如き残酷性を帯びたる婦人もありますけれども、婦人の天性は平和を好むものですから、婦人の人格に母といふ力が充実し、その母の理想通りに子供を教育し得る様になつたら、いかなる母と雖(いへど)も、人を殺して悦ぶ如き子供を造る筈がありません。 村井弦斎「感興録(二)」(『婦人世界』一九二〇(大正九)年九月 五四頁) ※ ・・・・・・なんか、カール・シュミットの嘲笑が聞こえてきそうな文章…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ ロシア人共産主義者は、満州や南樺太で逃げ惑う数十万人の日本人難民(女性や子供そし老人)を虐殺した。 日本人女性は強姦された後に陰惨に惨殺された。 古代、日本列島に逃げ込んだ日本人が忌避したように、中国人や朝鮮人そしてロシア人が跋扈している大陸は日本人にとって天国のような楽園ではなく世にもおぞましい生き地獄であった。 それ故に、昭和初期に入るまで日本人は南北大陸に移住しても東アジア・北アジアのユーラシア大陸に渡る事はなかった。 ・ ・ ・ シベリア出兵時。日本軍部・日本陸軍人道貢献と…