9月11日は「守矢・諏訪・安曇一族のルーツと信仰」(縄文とスサノオ・大国主建国の繋がり)と「縄文石棒(墓石→神代(かみしろ))→男根道祖神→男女性器道祖神→夫婦道祖神」の変遷をテーマにして、諏訪湖北岸から安曇野、佐久へと調査しました。 まず諏訪大社下社秋宮の摂社と末社を調べ、その北にある男根型道祖神へ向かいましたが、集中豪雨被害の道路閉鎖があり、かなり大回りして捜したので下社春宮には行く時間がなくなり、建御名方が出雲に出向いた時に尾が残ったという壮大な龍神伝説のある「尾掛松(杉の木神社)」を見て、安曇野の穂高神社へ向かいました。 私はスサノオ・大国主の建国史の解明は、古事記と播磨国風土記の分析…