案内板「 古くからこの周辺は国境として柵が設けられ、天明2年(1782年)の『岩手関由来書』(鳴子・肝入遊佐甚之丞)には、『秀衡の世に陳ケ森の陣に多数詰居て(中略)柵のあとありありと残る』とある。尿前に番所が建てられたのは、仙台藩の法令『御境目御仕置』から推測するに寛文10年(1670年)ごろと考えられる。岩出山伊達家の職制に『尿前御関所役』とあり、伊達藩から尿前に役人が派遣されていた。芭蕉と曽良がこの関を通ったのは、元禄2年(1689年)5月15日(新暦7月1日)のことである。 芭蕉の『おくのほそ道』には、南部道はるかに見やりて岩手の里に泊まる 小黒崎水の小嶋を過てなるこの湯より尿(シト)前…