第17代の天皇。 去来穂別天皇、伊邪本和気王とも。
大鷦鷯天皇(仁徳天皇)の太子。母は磐之媛命、葛城襲津彦の女子なり。
磐坂市邊押羽皇子、御馬皇子、青海皇女(飯豊皇女)、中磯皇女などがある。 また、市邊押羽皇子は仁賢天皇と顕宗天皇の父なり。
🌼履中天皇とスミノエノナカツ王 ——大和の漢《あや》氏、多治比部などの傳承の物語。—— 御子のイザホワケの王(履中天皇)、大和のイハレの若櫻《わかざくら》の宮においでになつて、天下をお治めなさいました。 この天皇、葛城《かずらき》のソツ彦の子のアシダの宿禰の女の黒姫の命と結婚してお生みになつた御子は、市《いち》の邊《べ》のオシハの王・ミマの王・アヲミの郎女《いらつめ》、又の名はイヒトヨの郎女のお三方です。 はじめ難波の宮においでになつた時に、大嘗の祭を遊ばされて、御酒《みき》にお浮かれになつて、お寢《やす》みなさいました。 ここにスミノエノナカツ王が惡い心を起して、大殿に火をつけました。この時…
奈良県桜井市はヤマト王権が成立した地域である。最初、王宮は現在の金屋の「磯城(しき)」と呼ばれた地域にあり、次に邪馬台国があったと考えられる「纏向(まきむく)」に移り、その後、「磐余(いわれ)」と呼ばれる地域に移った。 聖徳太子が生まれる100年以上も前、第17代・履中(りちゅう)天皇の時代に築かれたのが磐余稚桜宮(いわれわかざくらのみや)」である。 履中天皇が造らせた磐余池(いわれいけ)の辺りにあったと考えられる。磐余稚桜宮の名前は、「履中天皇の稚桜による説話」に関連している。 磐余池の候補地・池尻・ 池之内遺跡 ある日、天皇が池に船を浮かべていた。杯を持ち上げたとき、そこに季節外れの桜の花…
天武天皇の第3皇子・大津皇子は、 天武天皇の没後、皇位継承を巡って 謀反の疑いで捕らえられて自害しました。 ところで大津皇子は自害の直前に、 磐余 (いはれ) にあった自邸で 次のような辞世の歌を詠んでいます。 大津皇子の死を被りし時に、磐余 (いはれ) の池の陂 (つつみ) にして涕 (なみだ) を流して作りませる御歌一首 (『万葉集』巻三 −四一六) 磐余の池で、ああ鴨が嗚いた。 じっと見ると、物陰に鴨はいる。 ぽっつりと浮かんで、 これを見納めとして、 私は死んでいかねばならぬのか。 貴い天皇の子である私が。 桜井市観光協会32ももつたふ磐余の池に・・・ この和歌の中に見える「磐余池」と…
大阪出張の際に訪れた難波神社の記録です。 (18代反正天皇)
古代の天皇の宮とされる伝説の地を紹介していく。これより土地とそれに紐づくエピソードを探していく。今回はシリーズ第7弾、履中天皇・大兄去来穂別尊を紹介する。 ・第17代・履中天皇:磐余・履中の血縁関係・黒媛をめぐる弟・住吉仲皇子との兄弟対決・即位2年~6年・履中の夫人・太姫郎姫と高鶴郎姬・履中と阿波国のエピソード・草香幡梭姫皇女・飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)・磐坂市辺押磐皇子(いわさかのいちのへのおしはのみこ)・顕宗天皇、仁賢天皇・まとめ ■第17代・履中天皇:磐余名前は大兄去来穂別尊(おおえのいざほわけのみこと)とも。履中天皇の宮は磐余(いわれ)。奈良盆地桜井市中部から橿原市南東部(池…
大山古墳について 大阪府堺市大仙町の大山古墳(だいせんこふん)は仁徳天皇陵とされ、クフ王の大ピラミッド、秦の始皇帝陵と並んで世界三大墳墓の一つに数えられるそうです。とはいっても、それぞれの時代はそうとう離れています。 ピラミッドも現時点では王墓と決まっているわけではないそうですが、大山古墳も仁徳天皇陵と確定しているわけではないらしく、古墳の被葬者については異論もあるようです。 堺市ホームページから引用(百舌鳥古墳群リスト 堺市 (sakai.lg.jp)) ① 田出井山古墳 (伝・反正天皇陵、百舌鳥耳原北陵) ②-① 大山古墳 (伝・仁徳天皇陵、百舌鳥耳原中陵、大仙陵古墳)⑮ 石津ヶ丘古墳 (…