プロ野球、大洋ホエールズ選手。野球指導者。通称「大ちゃん」。
右投右打、ポジションは遊撃手。背番号は1→80→77番。
1952年3月5日生まれ、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。
清水と言う事もあり、少年時代はサッカーに熱中していた。
清水東高校から慶應義塾大を経て、1974年、ドラフト1位で大洋ホエールズに入団。
1976年から1983年まで、ショートストップで8年連続ダイヤモンドクラブ賞を獲得するなど、主に守備の名手として活躍。
スター選手として松原誠、田代富雄らと共にホエールズを支えた。
1985年、高木豊の遊撃手コンバートにより二塁を守る。出場機会を減らし、古葉竹識に引退勧告を受ける。
1988年、開幕直前に現役引退。
1993年、横浜ベイスターズのコーチに就任。
1998年、ヘッドコーチに昇格。38年ぶりのセ・リーグ優勝、日本一に貢献した。
2000年、退団。
2001年、NHKの野球解説者となる。主にMLBの解説を担当。「Take me out to the ballgame」を口ずさむ姿が印象に残る。
2003年、横浜ベイスターズの5代目監督に就任。*1
キャンプ中は派手なパフォーマンスや言動などでファンを沸かせていたが、2シーズンが始まるとチームは独走状態で最下位に転落。*2
2004年、佐々木主浩、川村丈夫など投手陣の活躍と、多村仁の覚醒による好ゲームを見せたが、最下位へ転落。チームのシーズン最多三振記録を樹立。
同年、チームの不振を理由に監督退任。
2005年、新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスのヘッドコーチに就任。しかし、チームの成績不振により5月1日付で二軍監督へ異動。
同年、退団。フロント入り。
セルジオ越後と親交が深い事でも知られ、「大ちゃんス打線」と言う打線名をセルジオ氏に命名してもらった。
「ピッチャーデニー!」
「(大)今日は負けないよ」→「(ファン)試合ねぇだろ・・・」