桃の日や自服の泡の浅みどり 山下喜子 薄茶点前の際、客に勧められて亭主も自分で点てた茶を一緒に飲むことを「自服」という。亭主を務める桃の節句のめでたい茶席、客から自服を勧められるということ自体打ち解けた和やかさがあるだろう。桃色と薄茶の「浅みどり」の対比が美しい。技巧的には、「薄みどり」とせず「浅みどり」としたのは「薄茶」との連想の重なりを嫌ったのか?あるいは、茶は茶碗の底が透けて見えるほどに浅く入れていたことの暗示か? 夫の忌の狭庭鳩鳴く涅槃雪 大出岩子 釈迦入寂の日とされる陰暦2月15日に行う法会を「涅槃会」といい、この頃の降り仕舞いとなる雪を「涅槃雪」という。夫の忌日に降る「忘れ雪」、我…