備後国御調郡海裹荘の集落。現在の広島県世羅町宇津戸。戦国期に「備後国鋳師惣大工職」となった鋳物師丹下氏が根拠地とした。石見国と出雲国に向かう街道の分岐点であり、江戸期は宿場町としても栄えた。 海裹荘の登場 代官高橋泰光と地頭八幡神社再興 鋳物師丹下氏の活動 江戸期の宇津戸 関連人物 参考文献 海裹荘の登場 鎌倉後期の延慶二年(1309)九月、公文(領家方)戒円と地頭使者友安は六月二十六日付の「六波羅殿御下知」に従い、海裹荘における領家方と地頭方の下地中分を以下のように取り決めた(「内海正明家文書」)。 限東経所長尾尾道古大路、自大路東者領家方、中堺自落合河登リ土タコノ橋マテ、限西者土タコノ橋ヨ…