山本 繁太郎(やまもと しげたろう)は、日本の政治活動家。元内閣官房官僚。
山口県立柳井高等学校から東京大学法学部卒業後、1972年に建設省(後の国土交通省)に入省。内閣府等を経て、内閣官房地域活性化統合事務局長を最後に退官。
国交省住宅局長時に発覚した構造計算書偽造問題では、建設業界から「ザル法でしかない建築基準法を放置していたにもに係わらず責任をすべて民間業者に押し付けた」として厳しく批判された。
2008年には福田康夫内閣で初めての国政選挙となる衆議院山口2区補欠選挙に自民党公認、公明党推薦で出馬。この補選は山口2区選出の福田良彦(自民)が岩国市長選に立候補のため議員辞職したこと(後に市長選に当選)に伴うものだった。選挙戦では比例中国ブロックの議席を辞して選挙区議席奪還に挑んだ平岡秀夫(民主党公認、社民党推薦)と激しい一騎打ちを展開し[4]、福田康夫、安倍晋三、太田昭宏、麻生太郎、北側一雄、増田寛也ら自民党・公明党幹部らによる応援に支えられて自民党の議席維持を目指したが、獲得得票数は94,404票で、平岡に約2万2千票の差をつけられて落選した。
引き続き山口2区の自民党議席奪還を目指し、岩国市、柳井市、光市、下松市に後援会事務所を設けて政治活動を続けた。しかし地元の柳井市で2009年3月1日にあった市長選、県議選柳井市区補選(欠員1)のダブル選挙では、市長に元平岡秀夫衆院議員秘書の井原健太郎、県議補選に民主党公認の河北洋子が勝ち、山本陣営に危機感を与えた。
そうした中で迎えた2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では、山口2区で立候補し平岡と再び対決。柳井市や郡部では得票数が平岡を上回るなど補選時より票差を大きく縮めるも再び平岡に敗れ、比例中国ブロックでの復活当選もならなかった。
官僚らしくない気さくさがセールスポイントで、党派を超えた人気がある。