安芸国山県郡の国人領主。本拠城は阿坂(北広島町阿坂)の笠天山城か。天文十八年(1549)四月に嫡子への家督相続が大内氏から認められた。もとは武田氏に従属していたとみられ、実名の「元」は若狭武田氏(安芸武田氏の惣領家)である武田元信あるいは元光の偏諱とみられる。 笠間氏の滅亡 国人領主笠間氏 笠間元朝の時代 参考文献 笠間氏の滅亡 天文十八年(1549)四月十五日、吉川・笠間・出羽の三氏の家督相続と官途称が大内氏から認められた*1。この文書に署名した大内氏奉行人青景隆著は、笠間氏について「彼父元朝依申之」と記しており、笠間氏を相続した笠間修理亮の父が元朝だったことが分かる(「吉川家文書」606)…