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山鹿素行

(読書)
やまがそこう

●1622〜1685。会津。浪人の子。本名は高祐。
●林羅山に朱子学を、北条氏長に兵学を学び、素行本人は多くの大名の指南を施した。
●後に朱子学を批判して、46歳から9年間、赤穂に流された。
●江戸がようやく安定した時代で、朱子学も形骸化し、観念的なものとなっていることを批判、孔子・周公などの「原典に帰れ!」と、後の伊藤仁斎や荻生徂徠に繋がる古学を開拓した。
●「武士たるものは人倫の道を実践し、農・工・商の模範と成り、三民を教化していかねばならぬ」という高い理想で、多くの精神を啓蒙・浄化した。
●「武教小学」として起居・行住坐臥・衣食住に至るまで細かにマニュアル化し、解かりやすく教化したために、「武士道精神」の根本聖典と成っている。
●主著=『聖教要録』、『中朝事実』、『配所残筆』、『山鹿語録』。

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