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岡田桑三

(映画)
おかだそうぞう

(1903-1983)

昭和時代の映画俳優および映画製作者。1903年(明治36年)6月15日横浜生まれ。1922年、ベルリンに留学し、同時期にベルリンに滞在していた村山知義と交流を深めるなどして舞台美術をまなぶ。帰国後、山内光の芸名で映画俳優として日活大将軍撮影所に入社、阿部豊監督作品『陸の人魚』でデビュー。この芸名には、映画俳優になるにあたってアドヴァイスをくれた二人の師、山田耕筰の「山」と小山内薫の「内」を採って、名は映画と関係があり単純で左右対称の漢字「光」を持ってきた、というエピソードがある。この頃、同じ現代劇に出演していた岡田時彦と親しくなる。二人の交遊はのちに松竹蒲田撮影所に揃って入社してからも続いた。松竹蒲田時代は、インテリでノーブルな魅力をたたえた二枚目として売り出し、所長城戸四郎の贔屓だったという。映画俳優をする傍ら、野島康三・木村伊兵衛・中山岩太らが創刊した写真雑誌『光画』にも係わり、そこで培われた人脈から、1933年、ドイツ帰りの写真家名取洋之助が創設した日本工房(第一次)に写真家の木村伊兵衛、写真評論家伊奈信男、グラフィック・デザイナー原弘らと共に参加する。1940年代に入ると、東方社を設立して対外宣伝誌『Front』を刊行し、さらにその後、甘粕正彦に請われて満映(満州映画協会)で天然色フィルムの製作に乗り出し、戦後は、彼の生涯のキーマンの一人である澁澤敬三を先頭に南方熊楠の遺稿刊行と彼の業績を研究対象とする目的で「ミナカタ・ソサエティ」を設立した。さらに1950年代に入ると、昭和29年に東京シネマを設立し、科学映画の製作に着手。『ミクロの世界』『マリン・スノー』などで国際的にも高く評価された。

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