プロ野球選手。
右投左打、ポジションは三塁手・二塁手。背番号は48→1→3→1→48番。
1979年2月9日生まれ。愛媛県出身。血液型O型、176cm80kg。
宇和島東高校から1997年、ドラフト2位でヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。
1年目よりイースタンリーグでルーキーながら主軸となり、翌1998年、19年ぶりの優勝の立役者となる。
1999年、怪我の池山隆寛に代わり三塁を守るようになる。
同年、背番号を7番に変更希望したが通らず、
翌2000年、池山隆寛が36番に戻すこと、また若松勉の勧めもあり1番に変更。
2001年、三塁手に定着しリーグ優勝・日本一に貢献。
2002年には首位打者争いに加わり、初めて3割の壁を越えベストナインに輝いた。
また、3年連続ゴールデングラブも獲得している。
2003年、開幕戦で右手首を痛めて登録抹消。オールスター後に復活を果たすものの出場試合数は60試合に止まり、
不本意な成績でシーズンを終える。
2004年はフォームを変えた事により本塁打を量産。日本人トップの44本を放つ。
本塁打を狙う事が増えたために三振数も格段に増え、セ・リーグ記録を更新。結局、173三振でシーズン終了。
2006年、WBC野球日本代表に選出も怪我をしてしまう。
同年オフ、ポスティングシステムによりタンパベイ・デビルレイズ(現・タンパベイ・レイズ)へ移籍。
2009年オフ、ピッツバーグ・パイレーツに移籍。
2010年オフ、東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍、5年ぶりに日本球界復帰。
2012年オフ、楽天から戦力外通告を受け退団。東京ヤクルトスワローズに7年ぶりの復帰。
案外マメな人で、3連戦2連戦が終了したその日の夜には必ずブログを更新している。
兄は岩村敬士。