九州探題の今川貞世(いまがわさだよ、今川了俊)は九州平定を進めていく。九州の南朝方は勢いを失いつつあった。その一方で、永和元年・天授元年(1375年)7月の水島の変(前回記事を参照)により、島津氏は今川氏に反発。島津と今川の戦いも続いていた。 南北朝争乱もいよいよクライマックスである。 今川了俊が反島津勢力を結集 都之城の合戦(簑原合戦) 今川と島津の抗争続く 南北朝の争い、終結へ 島津はまだ戦う 前回までの記事はこちら rekishikomugae.net rekishikomugae.net (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({})…