12世紀末、惟宗忠久(これむねのただひさ)は源頼朝より薩摩国・大隅国・日向国(現在の鹿児島県・宮崎県)に所領を与えられた。そして、島津荘(しまずのしょう)という広大な荘園の惣地頭に補任されたことにちなみ、「島津忠久」と名乗るようになった。これが島津氏のはじまりである。 島津忠久は薩摩に住んだわけではなかった。所領の管理は代官に任せて、自身は鎌倉にあって幕府の仕事に従事する。2代目の島津忠時(ただとき)も、鎌倉で奉仕した。島津忠久の鎌倉御家人としての働きぶりについて、ちょっとまとめてみる。なお、日付については旧暦で記す。 源頼朝の御家人になる 薩摩・大隅・日向の守護 惟宗氏の地盤が南九州にあった…