1535年〜1619年 戦国武将。戦国後期最強の一角。通称「鬼島津」 島津四兄弟の次男。島津の九州征服で大活躍。慶長の役では「鬼石曼子」と恐れられる。
関ヶ原戦役では紆余曲折あって西軍に参加するが、紆余曲折があったのであまり積極的に行動せずに合戦当日に至る。 大勢が決した後、「島津の退き口」と称されることになる「前方への退却」を行い、井伊直政を負傷させたり島津製作所のご先祖様に助けられたりしつつ国元に帰還する。その後、隠居して維新と号した。
目次 1585年は秀吉が近畿から東海といった日本の中央の支配権を確保して、天下統一の方向性をほぼ確定した機関と言えます。 この時期に地方で一番目立った動きを見せていたのは伊達か島津でしょう。 後者の島津について本日は語っていこうと思います。 🎵 BGMを再生する 島津家とはどんな家系か 薩摩の島津家は、鎌倉時代から明治維新まで、ほぼ一貫して薩摩・大隅・日向を支配した、日本有数の大名・武家です。その家系は、源氏の流れをくむとされ、薩摩守護として土着し、戦国時代には九州の覇者として台頭しました。 1. 島津家の出自と源氏との関係 島津家は、源頼朝の側近として知られる惟宗広言(これむね の ひろこと…
「もう無理かもしれない」と感じる日に 仕事で失敗が続く。努力しても、思うような結果が出ない。 周りに頼れる人がおらず、逃げ道も見えない。 そんな日には、「もう無理かもしれない」と感じることがあります。 苦しいときに必要なのは、気合だけではありません。 状況を落ち着いて見て、守るものを決める。必要なら、前へ進む方法そのものを変える。 その知恵を教えてくれるのが、戦国武将の島津義弘です。 義弘は数多くの戦いを経験し、関ヶ原の戦いでは敵軍の中を突破して生還しました。 この記事では、義弘にまつわる5つの言葉や逸話を取り上げます。 苦しい状況でも諦めず、自分や仲間を守るための考え方を学んでいきましょう。…
鹿児島市小野の山の中に、聖宮(ひじりのみや)はある。小さなお社だが、ここは戦国時代の島津氏とすごく関わりのある場所である。こちらに行ってみた。 園田氏宅地に鎮座 島津貴久が隠れる 聖宮へ 六地蔵塔がもう一つ 島津義弘と宰相殿の出会い 園田氏宅地に鎮座 聖宮の由緒は詳らかならず。御祭神も不明だ。園田氏の宅地内に鎮座していた。場所はかつての薩摩国鹿児島郡の小野村の烏帽子というところ。 園田氏は応永12年(1405年)8月8日に小野を島津久豊より拝領。肝付氏攻め功があったことによるものだという。 園田氏は小野烏帽子に屋敷を構えるのだが、小野氏が入る以前から聖宮はあったと伝わる。そして小野氏は稲荷神も…
関ヶ原の戦いで「捨て奸」を駆使し、敵中突破で薩摩まで生還した「鬼島津」島津義弘。 戦国屈指の武勇を誇りながら、家臣や愛馬を慈しんだ人情味あふれる人柄でも知られています。 九州を代表する戦国武将として、いまも全国の戦国ファンを惹きつけてやみません。 そこで本記事では、島津義弘が登場したすべての大河ドラマ作品を紹介! 演じた歴代俳優の一覧や、各作品での描かれ方もまとめて解説します! NHK大河ドラマで放送された島津義弘の登場作品一覧(1971年〜2014年) 島津義弘を演じた歴代俳優一覧【全6作品・6名】 複数回、島津義弘を演じた俳優 島津義弘を1度だけ演じた俳優一覧 幼少期・青年期で俳優が分かれ…
上井覚兼(うわいかくけん)は、島津義久(しまづよしひさ)の老中を務めた。この人物の日記が残っている。『上井覚兼日記』という。 『上井覚兼日帳』『上井伊勢守日帳』『伊勢守日記』とも呼ばれる。 自筆本と思われるものが現存していて、東京大学史料編纂所が所蔵。もともとは島津家が持ってのもので、こちらに移されている。国の重要文化財にも指定。日記は天正2年(1574年)8月~天正3年(1575年)4月、天正3年11月~天正4年(1576年)1月、天正4年8月~9月、天正10年(1582年)11月~天正14年(1586年)10月と断片的に残っている。 天正10年11月以降の日記の現代語訳を新名一仁(にいなか…
島津義弘(しまづよしひろ)の子は五男二女あり。二人の娘については「御屋地(おやぢ)」「御下(おした)」と呼ばれている。この姉妹は戦乱のややこしい事情に巻き込まれ、家の事情に振り回された生涯だった。 なお、息子たちのほうは四人が早世。三男の島津忠恒(ただつね、のちに島津家久に改名)だけが残り、こちらは島津家の家督を継承。薩摩藩の初代藩主にもなっている。また、この姉と妹は、島津家久(島津忠恒)にとって軽く扱えない存在でもあったようだ。 長女/御屋地 母は北郷忠孝の娘 両親が離縁 北郷家へ、兄と結婚 離縁、北郷相久の死 再婚、豊州家へ 帖佐の御屋地に住む 次女が松平定行に嫁ぐ 長寿をまっとう 次女/…
「妙円寺詣り(みょうえんじまいり)」は鹿児島県の三大行事の一つ。毎年10月に島津義弘の武威を偲んで行われる。 『妙円寺詣りの歌』というのもあり、歌詞は二十二番まである。その歌詞をあらためて見てみると、すごくよくできている。ちょっと解説を交えつつ紹介する。 「妙円寺詣り」とは? 『妙円寺詣りの歌』 歌詞 一番/開戦前 二番/火蓋を切る 三番/島津は動かず 四番/山田有栄が応戦 五番/乱戦 六番/寝返り 七番/孤軍 八番/奮闘 九番/徳川家康 十番/掛かれ! 十一番/もっと兵がいたなら 十二番/敵中突破 十三番/死にものぐるい 十四番/激戦あって 十五番/烏頭坂 十六番/島津豊久の戦死 十七番/長…
国道267号沿い川内川のやや南のあたりに鳥居が見えた。そこは荒瀬神社(あらせじんじゃ)という。鎮座地は鹿児島県伊佐市大口曽木。御祭神は豊玉比賣命(トヨタマヒメノミコト)・豊玉比古命(トヨタマヒコノミコト)。 静かな森の中に 川内川を流れてきて 悪瀬山無量寿院観音寺 島津義弘の奉納面 静かな森の中に 国道沿いに鳥居がある。駐車場はないけど、鳥居前に車1台分くらいのスペースがある。ちょっと停めさせてもらって参詣する。 参道口 鳥居の額 鳥居は昭和37年(1962年)に改修されたもので、さらに昭和57年(1982年)に国道の工事にともなって現在地へ移設。鳥居に刻まれた文字を見ると、そんなことが書かれ…
「鬼島津」の異名を持つ島津義弘(しまづ よしひろ)。 その名は、戦国時代から江戸時代初期にかけて、敵軍から恐れられた武将の一人として知られています。 特に、関ヶ原の戦いで見せた敵中突破は、歴史上でも稀に見る壮絶な戦いとして語り継がれています。 しかし、「鬼」と呼ばれた男には、戦場を離れたもう一つの顔がありました。 ここでは、戦場で鬼神と化した義弘の武勇と、家臣から深く愛された温かい素顔に迫ります。 戦場で鬼神と化した男 島津義弘の武勇を語る上で欠かせないのが、文禄・慶長の役、特に泗川の戦い(しせんのたたかい)です。 彼はわずか7千の兵で、明・朝鮮連合軍の約4万の大軍を相手に大勝を収めました。 …
今回のテーマである史跡を巡る旅 ターニングポイントとなった合戦と城をめぐりたいところ。 二人目は徳川家康 事前調査 特集・モデルコース | 関ケ原観光ガイド 歩きで回るには 天下取りコース がおすすめ。 2時間ほどで回ることができる。 駐車場 開戦地 | スポット情報 | 関ケ原観光ガイド 国道から駐車場へ行くまでの道がかなり狭い。 ナビで案内されたとき「この道を通すの?」とナビに聞き返してしまった。 開戦地を起点に東西陣営を訪ねつつ、当時に思いを馳せたいところ。 開戦地は今や駐車場やトイレも完備なので慌てずゆっくり見て回れます。 西軍 島津義弘陣跡 ここは是非みたかった場所 島津の退き口で有…