1535年〜1619年 戦国武将。戦国後期最強の一角。通称「鬼島津」 島津四兄弟の次男。島津の九州征服で大活躍。慶長の役では「鬼石曼子」と恐れられる。
関ヶ原戦役では紆余曲折あって西軍に参加するが、紆余曲折があったのであまり積極的に行動せずに合戦当日に至る。 大勢が決した後、「島津の退き口」と称されることになる「前方への退却」を行い、井伊直政を負傷させたり島津製作所のご先祖様に助けられたりしつつ国元に帰還する。その後、隠居して維新と号した。
16世紀半ばに、島津貴久(しまづたかひさ)は大隅国蒲生(かもう)を攻めた。この一帯での戦いは「大隅合戦」と呼ばれる。その中で激戦地となったのが松坂城(まつざかじょう)である。場所は鹿児島県姶良市蒲生町米丸。 松坂城跡は城域の一部を歩くことができる。荒々しい雰囲気の山城であった。 大隅合戦 切通を抜けて山中へ なお、日付は旧暦にて記す。 大隅合戦 天文23年(1554年)9月、島津貴久は大隅国始羅郡(しらのこおり、鹿児島県姶良市のあたり)の攻略に乗り出す。蒲生範清(かもうのりきよ)・祁答院良重(けどういんよししげ)らが、加治木城(かじきじょう、姶良市加治木町反土)を囲んだことをきっかけに島津貴久…
【職人の魂を込めた本物手刷り作品】武将Tシャツ2013モデル!侍・武士・和柄・戦国武将Tシャツ【半そで】( 島津義弘)【送料無料】価格: 2420 円楽天で詳細を見る 島津義弘の名言から学ぶ現代社会の知恵 名言1:「一旦決めたことは、最後までやり遂げる。」 島津義弘は、一度決めたことを最後までやり遂げる強い意志を持っていました。彼のこの言葉は、決断力と持続力の重要性を示しています。 現代の知恵 現代社会でも、目標を達成するためには、決断力と持続力が求められます。困難に直面しても諦めず、目標に向かって努力し続けることで、大きな成果を得ることができます。目標を設定し、それに向けて計画を立て、最後ま…
照島神社(てるしまじんじゃ)は、鹿児島県いちき串木野市西島平町に鎮座する。 串木野は薩摩半島の西側に位置し、東シナ海に面している。「串木野港」という大きな港がある。ここは遠洋漁業の基地でもある。その串木野港のやや南に「島平港(しまびらこう)」がある。ここが、かつては串木野港の中心地だった。 島平港の沖に「照島」という小島が浮かぶ。照島神社はここに祭られている。 創建年代は不明。御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)・少彦名命(スクナヒコナノミコト)・大山津見命(オオヤマツミノミコト)。 朱色の太鼓橋を渡って 薩摩焼開祖着船上陸記念碑 島津義久も立ち寄る 徐福が上陸したところ? もともとは松尾大…
城野神社(じょうのじんじゃ)は、鹿児島県姶良市木津志に鎮座する。木津志(きづし)というところは、なかなかの山奥である。鎮座地は「隠れ里」という言葉がしっくりくるような雰囲気だ。 城野神社の参道口 御祭神は浄之御前(じょうのごぜん)。源為朝(みなもとのためとも)の奥方だと伝わっている。 城野神社の由緒 島津義弘の腹痛を治す 城野神社をお詣り 大隅国桑原郡の源為朝伝説 もとは違う神様か? 城野神社の由緒 由緒については『木津志百年史』(1966年発行)や『姶良町郷土誌』(1968年発行)に詳しい。こちらの資料を参考にした。 創建年代は不明。浄之御前については源為朝の妻と伝わるのみで、出自はわからな…
島津氏は、元亀2年(1571年)に島津貴久(しまづたかひさ)が没して代替わりをする。跡を継いだのは長男の島津義久(よしひさ)。そして、次男の島津忠平(ただひら、島津義弘、よしひろ)、三男の島津歳久(としひさ)、四男の島津家久(いえひさ)らが兄を支える。 この四兄弟の時代になって、島津氏はものすごい勢いで支配領域を広げる。短期間のうちに九州のほとんどを制圧し、そして天下人となった豊臣秀吉と対峙することに。……その過程をたどってみる。 島津の四兄弟 島津義久 島津忠平(島津義弘) 島津歳久 島津家久 島津包囲網 肝付が動く、鹿児島湾岸の戦い 伊東も動く 加久藤城の戦い 木崎原の戦い 大隅の制圧 小…
鹿児島県姶良市鍋倉は、かつての大隅国始羅郡(しらのこおり)の帖佐(ちょうさ)のうち。この地には平山城(ひらやまじょう)という山城があった。別名に帖佐本城(ちょうさほんじょう)ともいう。 この平山城跡に向かう山道の途中に、高尾城(たかおじょう)跡を示す白い標柱がある。 「高尾城跡」 高尾城は平山城(帖佐本城)の支城である。位置関係から想像すると、平山城(帖佐本城)へ侵入してきた敵を、道の途中で叩く防衛拠点のような感じだろうか。 また、高尾城跡にはかつて稲荷神社が鎮座していた。「元稲荷」とも呼ばれている。 ちょっと登ってみた。 平山城について 高尾城での戦い 高尾城跡へ 曲輪跡に元稲荷 日付につい…
これ、素晴らしい一冊だ! 帯には「戦後初の中世島津氏本格的通史!」の文字。そのとおりの内容となっている。「ずっとこんな本が欲しかった」と、個人的に思っていた。 『図説 中世島津氏 九州を席捲した名族のクロニクル』編著/新名一仁 発行/戎光祥出版 2023年10月発売 (C)EBISUKOSYO PUBLICATION CO.,LTD. 2023 図説 中世島津氏 九州を席捲した名族のクロニクル 戎光祥出版 Amazon 戎光祥出版のホームページはこちら www.ebisukosyo.co.jp 島津氏の歴史は長い。12世紀末に惟宗忠久(これむねのただひさ)が南九州に所領を得たことに始まる。島津…
勝栗神社(かちぐりじんじゃ)へお詣りに。 鎮座地は鹿児島県姶良郡湧水町米永。古くは正若宮八幡社(しょうわかみやはちまんしゃ)と称し、明治3年(1870年)に「勝栗神社」に改称している。 島津義弘(しまづよしひろ)とも縁のある場所だ。このあたりはかつての大隅国栗野(くりの)のうち。天正18年(1590年)から文禄4年(1595年)にかけて、島津義弘は栗野の松尾城(まつおじょう)を居城としていた。そして、正若宮八幡社(勝栗神社)では朝鮮出陣の儀式も行っている。 正若宮八幡社の由緒 高い木々が境内を覆う 島津義弘の出陣式 正若宮八幡社の由緒 創建年代は不明。主祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇。大隅…
島津家の「小返しの五本鑓」について、紹介してみる。 慶長5年(1600年)9月15日、美濃国関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で合戦があった。徳川家康が率いる東軍が、反徳川方の西軍を破る。 島津義弘(しまづよしひろ)は西軍に参加し、敗軍の将となる。戦況が決したとき、島津義弘の部隊は戦場の真っただ中にあった。島津隊は前方に向かって退却を敢行。徳川家康本陣の前をかすめ、激しい追撃を振り切り、戦場を離脱した。「島津の退き口」である。 徳川方の猛追を撃退した5人の将があった。撤退戦(島津の退き口)の殊勲者として「小返しの五本鑓」と讃えられる。 その顔ぶれはつぎのとおり。 川上忠兄(かわかみだだえ)・川上久…
大隅国加治木(かじき)に松齢山長年寺(しょうれいざんちょうねんじ)という寺院があった。現在の鹿児島県姶良市加治木町木田のあたりだ。ここは加治木島津家の菩提寺。寺院跡には墓所が残っている。国史跡にも指定されている。 ちなみに山号の「松齢山」は、島津義弘(しまづよしひろ)の法名「松齢自貞庵主」から。 島津義弘の位牌を置く 加治木島津家の菩提寺 長年寺の墓地へ 島津都美の墓と亀趺碑 椿窓院殿供養塔 島津義弘の位牌を置く もともとは「鳳凰山大樹寺」(「大寿寺」とも)と号し、加治木城(かじきじょう、姶良市加治木町反土)の東麓にあったという。 島津義弘は慶長12年(1607年)より加治木館(姶良市加治木町…
・戦国無双3ZSPクリア済キャラ 40人竹中半兵衛、くのいち、阿国、上杉謙信、綾御前、服部半蔵柴田勝家、福島正則、島津義弘、長宗我部元親、本田忠勝織田信長、風魔小太郎、立花宗茂、毛利元就、濃姫、黒田官兵衛雑賀孫一、武田信玄、今川義元、徳川家康、石田三成、立花誾千代直江兼続、伊達政宗、北条氏康、前田慶次、前田利家、稲姫浅井長政、お市、島左近、ねね、豊臣秀吉、加藤清正、甲斐姫森蘭丸、明智光秀、ガラシャ、真田幸村 戦国無双3Zsp、無双演武全キャラクリアしましたたたたたたたたたたたたたたたたたああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!…
こんにちは、あとりです♥️ 京都、伏見、『大黒寺』に行ってきました。(24年9月6日) 『大黒寺』は、京阪丹波橋駅から徒歩約5分です。 『大黒寺』は、もとは「長福寺」といい、平安時代初めの創健と伝えられています。 元和元年(1615年)、薩摩藩の祈祷所となり、薩摩藩主・島津義弘の守り本尊である「出世大黒天」にちなみ大黒天をご本尊に、寺名を『大黒寺』と改めました。 通称「薩摩寺」とも呼ばれています。 幕末期に西郷隆盛や大久保利通らが国事を論じた一室が残されていて、明治維新の志士達の密儀がたびたび寺内で行われたといわれています。 境内に入りました⤵️ 【社務所】 【本堂】 ご本尊、大黒天(秘仏)が…
信長秀吉の印判状に、此部類の書式をとったものが極めて多く伝わっている。大抵広く各方面の者に向かって与えたもので、本文書止めは「何々也」で結んである。今秀吉の朱印状の一例を図版に示そう。 (略) この文書は、島津氏分国片浦に黒船が着岸し、舶載せる白糸、即ち絹布の売買を申出でたので、秀吉は之を買上げんとして奉行を下したから、下着の上相場を定めて取引を致し、なお買上げた上余分があれば承認に買わせ、買手がなければ余分は何程でも引取る由を、島津義弘に伝えたものである。とのことです。
たいらさんにインタビューしてみました インタビュー記事、第十回目のゲストはたいらさんです! プレイヤー名:たいら メインワールド:W1~21 連合名:風林火山 たいらさんについて たいらです。ほぼ動かない地蔵プレーヤーですがよろしくお願いします。 ――名前の由来について教えて下さい。 広島出身なので広島→宮島→厳島神社→平清盛→たいら といった連想からつけました。 ――時空覇王伝を始めたきっかけを教えてください DBBのサービス終了時にクラブメンバーから「貯めたG勿体無いので時空覇王伝に登録だけでもしてみれば?」と言われて登録したのがきっかけです。 ――時空覇王伝は何年くらいプレイしていますか…
・戦国無双3ZSPクリア済キャラ 28人竹中半兵衛、くのいち、阿国、上杉謙信、綾御前、服部半蔵柴田勝家、福島正則、島津義弘、長宗我部元親、本田忠勝織田信長、風魔小太郎、立花宗茂、毛利元就、濃姫、黒田官兵衛雑賀孫一、武田信玄、今川義元、徳川家康、石田三成、立花誾千代直江兼続、伊達政宗、北条氏康、前田慶次、前田利家、 あと12人!!!!!!!!!!! この土日は予定より多くクリア出来て大満足でございます。戦闘の仕方が分かってきただいぶサクサク進められるようになりました。あと変に気負わずに気楽にやってた方が楽しく進められますね。それで結果的にペースが早まるのでしょう。前までは早く積みゲーを崩さなけれ…
2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』は豊臣秀長が主人公。兄・秀吉を陰ながら支えた弟・秀長の生涯が描かれます。現時点でキャストが決まっているのは豊臣秀長のみ。それ以外のキャスト陣がどうなるか気になるところですが、兄・秀吉を演じるのはだれかというのがSNSでも話題になっています。そこで今回は、大河ドラマで豊臣秀長を過去に演じたキャストにくわえ、豊臣秀吉を誰が演じることになるのか予想してみたいと思います! 大河ドラマでの豊臣秀長役 歴代大河ドラマで豊臣秀長を演じた俳優たち 過去作品から伝わる豊臣秀長のイメージ 仲野太賀さんの秀長はどうなる? 『豊臣兄弟!』の豊臣秀吉役を予想しよう! 過去に豊臣秀吉を…
前回は群雄モードで日本全ての城を落として、なおかつ全てのユニーク武将をレベル極にしました。 utane-channel.hatenablog.com 今回からは残るシナリオ、羽柴家を攻略していきます。 大友家? んー、あれは気が向いたら、ですね。 大友宗麟の性格が鬱陶しすぎます。 あ、あとは豊臣家の分岐も残っていますね。 どうしようかなぁ… 召し抱え武将をフル活用&召し抱えできない武将について セーブデータについて(余談) いざ、羽柴家ルート攻略開始! 野戦イベント①:天城部隊 野戦イベント②:信長本隊 まとめ 召し抱え武将をフル活用&召し抱えできない武将について まず織田家から分岐するので、…
・戦国無双3ZSPクリア済キャラ 20人竹中半兵衛、くのいち、阿国、上杉謙信、綾御前、服部半蔵柴田勝家、福島正則、島津義弘、長宗我部元親、本田忠勝織田信長、風魔小太郎、立花宗茂、毛利元就、濃姫黒田官兵衛、雑賀孫一、武田信玄、今川義元 ようやく半分です。まだまだ先は長いですが少しだけ気が楽になってきました。自分のプレイだと1キャラ終わらせるのに2~3時間くらい掛かるっぽいです。あと40時間程度掛かるとみて良いでしょう。データ上だと既に85時間くらい計測されてますがそんなにやってないはずです。40~50時間くらいじゃないでしょうか。でも恐らく全キャラクリアに掛かる時間は大体80時間程と考えて良いで…
1467年の応仁の乱以降、全国に広がった騒乱と混沌の「戦国時代」。 その「最終局面」が始まったのは間違いなく、1560年の「臼木ヶ峰の戦い」で、2万7千の今川軍を1万7千の織田軍が打ち破ったその瞬間からであろう。 そこから40年。 1576年にはその織田信長が果て、その後を継いだ豊臣秀吉が1594年に天下統一を実現。 その3年後に秀吉が没し、後継は息子(養子)の豊臣秀門が継ぐこととなった。 ーーが、この新政権の統治を巡り、大規模な内乱が勃発。 いわゆる「五大老」内での主導権を握ろうと画策した大友親家が、先の唐入りにおける無恩賞に不満を持っていた渡海組を糾合、更には五大老筆頭の内大臣・織田信雄を…
「若き薩摩の群像」はJR鹿児島中央駅前の広場にある。 「若き薩摩の群像」 19人の像が並べられている。彼らは何なのかというと、慶応元年(1865年)に薩摩藩がイギリスに派遣した一団だ。「薩摩藩遣英使節団」と呼ばれている。外交使節3名と通訳1名、留学生15名(第一次薩摩藩英国留学生)からなる。留学生は「サツマスチューデント」と呼ばれたりもする。メンバーは次のとおり。 外交使節/新納久脩(にいろひさのぶ)・五代友厚(ごだいともあつ)・寺島宗則(てらしまむねのり) 通訳/堀孝之(ほりたかゆき) 留学生/町田久成(まちだひさすみ)・町田申四郎(しんしろう)・町田清次郎(せいじろう)・畠山義成(はたけや…
百数十年にわたり続いた戦国乱世を平定した天下人・豊臣秀吉が、この世を去った。 遺された幕臣たちに課されたのは、この傑物が築き上げた静謐の世を維持し、後世に継承すること。 しかし、あまりにも偉大過ぎた存在の喪失は、この遺された政権に必然的に混乱をもたらすこととなる。 1467年の応仁の乱以来続く戦国時代。 その終わりが、間も無く訪れようとしていた。 目次 嵐前静寂 天王寺口の戦い 結末 ※ゲーム上の兵数を10倍にした数を物語上の兵数として表記しております(より史実に近づけるため)。 Ver.1.12.5(Scythe) Shogunate Ver.0.8.5.6(雲隠) 使用DLC The No…
語録内の用語を載せています。 自力で攻略したい方、ネタバレをなるべく踏みたくない方は閲覧をお控えください。 *鬼語録 ⚪︎あ ・天霧 ・いづな足 ・一の太刀 ・茨木童子 ・温羅 ・鬼 ・鬼頭 ・鬼の掟 ・鬼本来の姿 ・朧一族 ・朧八千代 ⚪︎か ・風間 ・北の金剛仁王 ・飢渇丸 ・吉備津彦命 ・銀狼・その一 ・銀狼・その二 ・蜘蛛糸 ・黒糸 ・黒髪 ・顕明連 ・琴浦爺 ・金剛力 ⚪︎さ ・先見の力 ・鈴鹿御前 ・涼森家 ・汐見爺 ・式神 ・十二鬼衆 ・十鬼衆 ・酒呑童子 ・修羅 ・不知火 ・千鬼丸 ・先祖がえりの力 ⚪︎た ・大通連・小通連 ・月島爺 ・通り名 ・鳥居 ⚪︎な ・南雲秀 ・名乗…
かつては素性も知られぬ父母の下で生まれ育った木下藤吉郎秀吉。その知略でもって昇り龍の戦国大名・織田信長の下で名を上げ、丹波摂津を治める大大名へと成長する。 信長死後は織田家中における存在感をさらに高め、1586年には信長の後継者・信雄を臣従させて天下を握る。 その勢いは止まることを知らず、次いで1590年までには西国の全域を支配下に。 同年夏には仇敵・武田への侵攻を開始し、翌年夏にはこれを撃破。 北条も屈服させ、日ノ本の大半が秀吉の支配に服することとなった。 天下統一目前の丹佐秀吉。 その生涯も間も無く、終わりの時を迎えようとしつつあった。 その上で、彼の目は、天下統一の更なる向こう、遥か遠き…
7泊8日の京都・滋賀・岐阜・名古屋旅行、6日目。 8時23分に彦根駅発のJR東海道山陽本線で約15分、8時37分に近江八幡駅に到着。 近江八幡駅の観光案内所は9時開館なのに8時40分くらいに対応してくれた。 観光案内所のご案内/近江八幡市 8時45分に近江八幡駅発の近江鉄道バスで約5分、8時51分に八幡堀八幡山ロープウェー口に到着。 1585年(天正13年)に豊臣秀次が八幡山に城を築き、八幡堀と琵琶湖とを繋いだ。 白雲館という洋風の建物は、1877年 (明治10年)に八幡東学校として建築された。 近江八幡市白雲館/近江八幡市 2階は展示準備中のため入れず。 ここの観光案内所は10時開館。 日牟…
このコーナーでは戦国初心者さんに向けての簡単戦国解説を書かせていただいております。戦国時代や戦国武将さんに詳しくないという方にも、分かりやすくお伝えできるよう心がけました。出回っている文章情報よりふりがなを少し多めに記載しております。「それぐらい読めるよ!」って方も暖かく見ていただけると幸いです。 音声で聴きたい方はコチラ。ながら聴きや作業のBGMなどにお使いください。 ↓ ↓ ↓ ↓ stand.fm 今回のテーマは【三英傑以外の群雄たち 】 武田信玄 上杉謙信 北条氏康 今川義元 毛利元就 島津義久 長宗我部元親 伊達政宗 前回は三英傑について書かせていただきましたが、戦国時代には、織田信…