第10代の天皇。
御間城入彦五十瓊殖天皇、御真木入日子印恵命、美麻貴天皇、御肇國天皇とも。
稚日本根子彦大日日天皇(開化天皇)の第二子。母は伊香色謎命、物部氏遠祖大綜麻杵の女である。 子女は、活目入彦五十狹茅天皇(垂仁天皇)、彦五十狹茅命、國方姫命、千千衝倭姫命、倭彦命、五十日鶴彦命、豐城入彦命、豐鍬入姫命、八坂入彦命、渟中城入姫命、十市瓊入姫命など。
邪馬台国の謎の女王「卑弥呼」 日本史の教科書に出てきますが、謎に包まれており、邪馬台国の場所さえも九州なのか、奈良なのか未だに論争が繰り広げられています。 そんな謎に包まれた人であるにも関わらず、日本人なら誰でも知っていると言っても過言ではない知名度を誇っているお方です。 今回はそんな卑弥呼の正体について考察していきます。
系図(世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱)から見えてくる世界。 今回は継体天皇から始まった6世紀の様子について。 502年(紀は506年)に豪族たちの総意で武烈天皇が排除され、503年(紀は507年)に継体天皇が擁立された。継体天皇と二人の皇子(後の安閑天皇と宣化天皇)が和珥系皇女に入婿する形で前世紀の血統の統一が目指された。結果はすぐに現れて継体3年(505年:紀は509年)に後の欽明天皇が生まれて、欽明天皇への皇統の継承が確定するかに見えた。 一方、国際情勢は苛烈化。任那の4県(512年)2郡(513年)を百済に割譲するなど、ジリ貧状態であった。北九州勢としては、せっかく仲哀…
四代懿徳五代孝昭間、六代孝安七代孝霊間、九代開化十代崇神間を切って世代を見直した『世代修正系図』から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は西暦200年代の様子を紹介する。 第四代スキツミ(懿徳天皇)でホホデミ(神武天皇)から続く祭祀王家は途絶える。スキツミの親族、ワチツミは淡路に拠点を置き、吉備勢力と関係を深める。 世俗王第二代の倭足彦(記紀では第六代孝安天皇)の代替わりとして、ミマキ入彦が纏向を制圧し、世俗祭祀の統一王(記紀では第十代崇神天皇)となる。250年ごろのことである。※ミマキ入彦の出自であるが、皇后のミマキ入姫が、又の名をミマツ姫とも言わ…
今回は歴代天皇の第2弾です。 三輪王朝、ススイッと京成中! 河内王朝、鬼が離反し、隠居庵優勢! 播磨王朝、兼任部長! 三輪王朝[ス:崇神天皇、スイ:垂仁天皇、京:景行天皇、成:成務天皇、中:仲哀天皇〕 河内王朝[鬼:応神天皇、仁徳天皇、離:履中天皇、反:反正天皇、隠居:允恭天皇、庵:安康天皇、優:雄略天皇、勢:清寧天皇] 播磨王朝[兼:顕宗天皇、任:仁賢天皇、部:武烈天皇] 10代崇神[スジン]天皇 天皇在位はB.C.97~B.C.30の68年間です。 11代垂仁[スイニン]天皇 天皇在位はB.C.29~A.D.70の99年間です。 12代景行[ケイコウ]天皇 倭建命の父親。天皇在位は71年~…
昨日行った、うさぎ神社(正式名称ではありません(^_^;)=調神社(つきじんじゃ)の中の話です。。。 suoaei.hatenablog.com この神社、崇神天皇の勅命で創建されたということですが、すじんてんのう…?検索してみると、紀元前148年ー紀元前30年に存命されてた天皇…?らしく、え?そんな太古の昔?からあった神社???と驚きです。。。かなりかなり歴史の有り過ぎる神社でした。それも、神社というと鳥居があるのが普通ですが、鳥居がありません。鳥居の柱2本の間の上に縄が掛かっているだけです。 これは、調神社の『調』の意味である、昔歴史の授業で習いましたね…『租、庸、調』の調です。なんとなく…
昨年2020年秋の、奈良古代史巡りコンテンツです。「卑弥呼の里」ってのが、興奮ビンビンに高めてくれます!笑卑弥呼と言えば、例の「邪馬台国論争」。以前にも触れましたが、私は単純に「九州説派」なんですが、こうして現地を歩くと、いやいや・・、やっぱり近畿説か・・、という気分になってくるようで不思議なもの・・^^;、当然と言えば当然ですが、どうしても「地元説」に傾倒するのは無理もない、と思いますね・・^^;ちなみに、「卑弥呼」というのは固有名詞では無いんじゃないか・・?と私は感じておりまして、いわゆる一般名詞?つまりは、巫女さん、とか、神官とか、そういう意味で当時際立ったシャーマンだった女性を一般的に…
内藤湖南の『卑彌呼考』などでは、田道間守は難升米(ナシメ)に比定されることがある。タジマとナシメ の類似からだろう。 田道間守は、ヒナモリという魏志倭人伝の官職名を想いおこす。おそらく邪馬台国から任命された行政の副官なのだ。島守と書かれることもある。 田道間守は記紀によれば常世の国に派遣されたが、倭人伝のナシメだとすれば、中国の魏に派遣された使節団長とみなせるというのが、内藤説であります。 ところで、ヒナモリ=島守は外交の任務を兼ねていたと空想できるよう。なぜなら、島伝いに任命されているらしいから。 田道間守は新羅からの渡来人の孫であるという。つまり、半島の文化を知り、同時に半島とのコネクショ…
みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。 今回も、三種の神器の一つ「八咫鏡」(やたのかがみ)について の第2回目です。 八咫鏡は、皇位の印である三種の神器のひとつです。 ~前回の続き~(日本書紀より) 天照大神、手に宝鏡を持ちたまいて、天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと) に授け祝う(ほ)ぎて曰はく「吾が児、この宝鏡を視(み)まさんこと、 まさに吾を視るがごとくすべし。与(とも)に床(ゆか)を同じくし殿 (でん)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いわいのかがみ)とすべし」 これは同床共殿と言われています。 このように、天照大神が天孫に対し「宝鏡」をその御霊代(御神体) として授け、宮殿の中に奉斎するよ…
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) 神社は周囲から一段高い山の上にあり、山そのものが和田宝満公園として整備されています。 寶満宮由来記 鎮座地福岡市南区和田三丁目十六番一号御祭神玉依姫命(神武天皇の母)神功皇后(応神天皇の母)応神天皇(仲哀天皇、神功皇后の子) 御神徳家内安全、病気平癒、安産など 御由緒創建は不詳であるが、旧社殿棟板に安永三年氏子等の浄財により築造の旨の文字あり(一七七四年後桃園天皇の時代)その後天保六年に改築、現在の神殿は平成二十年七月、拝殿は平成二十八年四月に改築のもの明治五年十一月三日村社に指定される昭和十年幣帛供進の指定鳥…
こんにちは。前回に続き山梨県・昇仙峡近くの神社巡り、今回は『金櫻神社(かなざくらじんじゃ)』の参拝録です。『金櫻神社』は、山梨県甲府市と長野県川上村の境界線にある標高2,599mの名峰・金峰山を御神体とする山岳信仰の神社で、金峰山山頂に『金櫻神社』本宮が鎮座、今回参拝するのは「里宮」にあたります。 朱の大鳥居 前回ご紹介の「夫婦木神社」上社のすぐ近くに『金櫻神社』の参道があります。「夫婦木神社」の境内からも朱色の大鳥居が確認できます。御祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)。『金櫻神社』のホームページによると、約二千年前の崇神天…
天照大神は、かつては皇居に祭られていたのですが、エネルギー量が大きすぎ、別のところにお祭りする必要性が出てきました。 第10代崇神天皇の時代です。 天照大神をお祭りするにふさわしい場所を(そのお役目の皇女が)各地を転々としながら探していかれました。 最終的には伊勢神宮に落ち着くのですが、そこに来るまでに天照大神が留まられた場所を「元伊勢」と言います。 福知山にも「元伊勢」の神社があり、しかも外宮・内宮・天岩戸神社と3つがそろっているのです。 天照大神が伊勢の地に鎮座されるまで、倭姫(やまとひめ)がそのお役目を担っておられていたのですが、倭姫は福知山には立ち寄っておられないのです。 この点が腑に…
高千穂峰(たかちほのみね)は存在感がある。山容もさることながら、大きな噴火もしばしば。古代から人々が崇める山であり、恐れる山でもある。その東麓に御池(みいけ)という火口湖がある。 御池と高千穂峰 この池の東側に、霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)が鎮座する。場所は宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田。かつての日向国諸県郡高原(たかはる)のうちである。 霧島東神社から山頂までは直線距離で4㎞ほど。また、高千穂峰山頂は飛地境内となっている。じつは、山頂に突き刺さっている天之逆鉾(あまのさかほこ)は霧島東神社の社宝である。 天孫降臨伝説の山の中腹に 霧島東御在所両所権現 高千穂峰の山腹に 火闌降尊と火明尊 …
神奈川県・前鳥神社の菟道稚郎子 栃木県・野木神社の菟道稚郎子 和珥氏と皇室 和珥氏とは 両面宿儺vs和珥氏 皇族の反乱と河内王朝説 神奈川県・前鳥神社の菟道稚郎子 写真はつい先日参詣してきた、神奈川県平塚市の式内社で「前鳥(さきとり)神社」。 主祭神は応神天皇の皇太子で、皇位を異母兄の「大鷦鷯尊(仁徳天皇)」に譲って自害したという「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)」。 菟道稚郎子を祀る神社といえば、皇子の宮室のあった「菟道(宇治)」に鎮座する「宇治神社」と「宇治上神社」が知られるが、前鳥神社の社伝によれば、仁徳の呼びかけで蘇生した菟道稚郎子は一族を引き連れて東国に移住し、死後この地で神として祀…
玉石社への山道。ここからは一段と引き締まる思いとワクワク感で一歩一歩踏みしめて上がらせて頂きました。 枝が凄いです。修験者たちはこういう道を登っていったんですね~ 玉石社 大きな三本の杉と周りに囲いがある玉石社に到着。末社となっていますが、ここが一番強力。15分弱で着いたでしょうか。とても澄んだエネルギーで清々しい。 末社:玉石社 お酒をご奉納してご挨拶した後、祈願させて頂きました。<御祭神>大巳貴命 (おおなむぢのみこと) 玉置神社の基となったのが、この玉石社。大峯修験道では、玉石社を聖地と崇め、本殿により先に礼拝するのが習わしだそうですがここに来るまでに浄化して伺わせて頂きました。<体験①…
※7月29日の記事です。 昨日は清里高原に行ったので、今日の午前中は宿の近くの小淵沢駅に近い、大滝湧水公園の釣り堀に行くことにしました。 朝の8時にペンションを後にします。 タクシーで向かうと運転手さんが不穏そうに、釣り堀ですか。。お電話かけてみましたか?との声が。。まさか、清里のアクアガーデンに続いて、釣り堀も閉店なのか。。 不安になったものの、釣り堀やっていなくても公園を散策するんでと、向かっていただきました。 大滝湧水公園 入口 美しい田園風景 まるで映画のワンシーンのような 正面にある大滝神社は、古墳時代3世紀後半に崇神天皇が巡視の折に湧水をたたえて、壇を設けて祭祀を行ったのが始まりと…
どうも、ひのきですm(*_ _)m またしても続いてしまいました、勝手に記紀考察(もはや妄想w) 今回のテーマは、、、出雲の系譜? それとも、、、 今回も都市伝説寄りになっていくかと思いますm(*_ _)m 前回の考察でアジスキタカヒコネ=コトシロヌシ=ナガスネヒコではないか、そしてアメノワカヒコ=ニギハヤヒではないかと考えました あれ?でも待って、ニギハヤヒ=アメノワカヒコだと思ったのですが下鴨社にはタカヒコネ(長いので以降アジスキを省略しますw)の別名とシタテルヒメが祀られていると考察したのにアメノワカヒコまで祀られているのです 勿論、妹の夫なので不思議ではないとも言えますが、はたして、タ…
今日は、日帰りで気軽に登れる奥多摩の御岳山(標高929m)に紅葉狩りに出かけた。 バスでケーブルカー乗り場へ 本当は御嶽駅でHさんと待ち合わせの予定だったのに、青梅線に乗り遅れた私の失態で青梅駅からバス2本乗車となり、予定よりもかなり遅く、御岳山ケーブル下に到着というイレギュラーな展開💦(私のポンコツぶりを責めないHさんの心の広さに感謝。) 満員のケーブル下行きバスは、「滝本駅」(標高407m)に到着。 ケーブルカーに乗車! 1935(昭和10)年1月1日に営業開始。🐶も乗車可能な為、車内はたくさんのワンちゃんとともに満員状態で「御岳山駅」に向かった。(往復1130円 片道所要時間約6分) 御…
奈良県内には古代からの街道沿いに発展した宿場町が数多くあります。 今回紹介する宇陀市中心街の萩原宿もそういった町のひとつです。 場所はこちら。 大和高原南部に位置し、宇陀市の中心市街となっている場所です。 大阪と伊勢を結んだ伊勢本街道沿いには、往時を偲ばせる町並みが今も残り、散歩にぴったりの町でした。 街道の交差点・萩原 新町界隈 墨坂神社 榛原空襲戦跡 札の辻 上町~墨坂伝承地 東町~金平稲荷神社 椋下神社~庚申堂の辻 参考文献 街道の交差点・萩原 さて、萩原宿は町村合併で宇陀市となった旧榛原町の中心市街でした。 榛原という地名がこの地に名付けられたのは明治になってからで、1889(明治22…
1.からむし 苧(お)、苧麻(ちょま)、青苧(あおそ)などと書く。イラクサ科の植物で繊維(靭皮繊維)が採れる。有史以前、縄文時代の頃から利用されてきた日本でも代表的な植物繊維である。現在でも越後上布や小千谷縮の材料などに使われている。 大和王権時代にも職業部である麻績部(おみべ、糸を作る)や機織部(はたおりべ、布を作る)が必要にした材料で持統天皇も詔勅でその栽培を奨励したほどの繊維材料であった。中世には越後が一大生産地で上杉氏はこの繊維から莫大な利益を得た。 近世まで釣り糸や漁網にも利用され山の民が海の民に行商した代表的な製品でもある。 2.苧環 「おだまき」と読む。糸を巻いて中空の玉状にした…
朝の5分が起きられなくて…でもちゃんと5分遅れで目を覚まします(^^) Kちゃん送りから帰り『麒麟がくる』『武蔵坊弁慶』『ブルーブラッドNYPD』を見てウクレレを出したところで、久しぶりにファミサポで知り合ったIさんから電話がありました。キッチンカーをオープンしたとのこと(^^)K君のお預かりを頼まれましたが、あいにく一日は空いてなくて残念😢 お昼までの小一時間ウクレレの練習しました。12月のPPPのクリスマス会にてやましろキャンディーズ3人組でアンサンブル演奏する『島人ぬ宝』と『赤いスイートピー』。どちらもメロディ部分が苦手で、ある程度覚えないと楽譜見ながらではついて行けそうにない…来週の練…
皆さんこんにちは ❗ 今回ブログでは、奥多摩を巡る旅 1泊2日 1日目 "御岳山" 編 !! を紹介します (^-^)/ tadasumi.hatenablog.com 【武蔵御嶽神社】 武蔵御岳神社 随身門から300段の石段を登り鳥居をくぐると、武蔵御嶽神社が見えました ⛩️ 随身門 ⛩️ 武蔵御嶽神社 由緒 📘📚 社伝によれば、創建は第十代 崇神天皇 七年と伝えられ、第十二代 景行天皇の御代 日本武尊御東征のみぎり、"難を白狼の先導" によって導かれたと言われ、古くより関東の霊山として信仰されています ⛩️ 標高929mの武蔵御岳山の山上に建立され、御祭神は "櫛真智命" を祀られ明治の初…
「杉玉」(すぎだま) 「杉玉」の発祥の地・大神神社 酒造りの神様 しるしの杉玉 日本酒と杉の関係 仕込みの道具 樽酒の樽 「杉玉」(すぎだま) 多くの酒屋や酒造の軒先には、 杉の葉を束ねて球状して整えた 「杉玉」(すぎたま)を吊り下げられています。 「酒林」(さかばやし)とも呼ばれています。 「酒造りの神様」として知られる 奈良県の大神神社の御神木でもある杉を祀り、酒造りの守護を願ったのが始まりとされ、 やがて、酒蔵や酒店の看板としての役割も 果たすようになりました。 「杉玉」は、竹籠(もしくは針金)を芯にして、 その隙間に杉の葉を差し込み 形を整えながら作り上げたもので、 直径が30㎝位の小…
楯築遺跡 吉備には、日本の古代史の真相につながる深い謎が幾つかあり、一昨日に書いた鬼退治のことや、鬼ノ城という山城の存在が、よく知られている。 それ以外の謎として、2世紀後半という、卑弥呼の時代以前に作られた楯築遺跡がある。これは全長70mという弥生時代最大の墓だが、墳丘の各所から特殊器台や特殊壺が出土した。これらは古墳時代の円形埴輪のルーツとされており、ヤマト王権というのが各地域の連合政権であったという説の一つの裏付けになっている。 今年、佐賀の吉野ヶ里遺跡から出土した石棺の調査で、邪馬台国論争が盛り上がり、石棺の中から豪華な副葬品が出土すれば、九州邪馬台国説で決着するなどと主張する人たちも…