『図案会誌』2巻1号(京都図案会雑誌部、明治40年4月)の編集人に川村猪蔵という人がいた。このことは、「明治期の京都における染織図案史の修正を迫る『京都図案会誌』を発見 - 神保町系オタオタ日記」の注で言及したことがある。今回、その川村の経歴が判明した。文芽(あやめ)という筆名で日出新聞(京都新聞の前身)の記者だった。 島田康寛 『京都の日本画:近代の揺籃』(京都新聞社、平成3年7月)に出てきたのである。この本は、村上文芽が『日出新聞』大正8年7月1日から11月27日まで連載した「絵画振興史」に島田氏が解説を加えたものである。同書の「あとがきに代えて」に、村上文芽の本名を猪蔵とし、経歴を紹介し…