大正後期、安価なるアメリカ製の木材が、怒涛の如く日本国へ押し寄せた。 数字に徴して明らかである。 大正九年はものの八十七万石に過ぎなかった代物が、 翌十年には一躍して三百三十六万石、四倍弱を記録しており、 大正十一年ともなると、七月末で既にもう、六百三十八万石に達するという、ほぼ狂瀾の勢を示した。 (河川による木材流送) 識者は口々にわめいたものだ、 「国内林業が壊滅する」 と。 大いに危ぶみ、警告し、対抗策を講じなければと日夜強く訴えた。 …実際今日では、津々浦々、到るところ米材を使用し、殊に運搬不便の山間地方までも、その巨躯を横たへ、しかもその地方に鬱蒼と繁ってゐる「すぎ」や「まつ」、また…