元衆議院議員。東京HIV訴訟元原告・川田龍平の母親。
1987年、次男の川田龍平のHIV感染告知を受け「血友病の子どもを守る会」を結成。 1995年には川田龍平がHIV感染患者であることを実名公表したことをきっかけに、薬害エイズ運動の先頭にたって活動。 裁判和解後薬害エイズ問題の活動だけにとどまらない「人権アクティビストの会」を結成。 2000年衆議院議員東京21区補欠選挙当選。 2003年落選。
貧乏議員 国会「イビリの掟」を笑う
薬害エイズはいま―新しいたたかいへ