――おそるべきことに。 酔っ払いたさに工業用アルコールをあおって(・・・・)いたのは、ひとりロシア人ばかりではない。 我々日本人も同様だった。 いわゆるバクダン焼酎である。敗戦直後の短期といえど、それは確かにあったのだ。 「なにもかも酒手の暴騰が悪い」 昭和二十六年という、まさに事態の渦中にあって声を上げたは松山茂助。 ドイツ留学の経歴をもつ醸造学者で、やがてはサッポロビールの社長にまで登り詰める才物である。 彼は言う、昭和十年を思い返してみるがいい――。 「あのころビール一本の値段はものの三十三銭で、そのうち税金は八銭九厘に過ぎなかった。それがどうだ、今日では百三十二円にまで跳ね上がってる。…