右と左の区別が咄嗟にはつかないこと、またはそのような人の、自称。
色盲などといった既存の言葉から造られたただの俗語であり、このような病名や学術用語が実際にあるわけではない。
左右の存在をそもそも全く判断できない病気のことを指すわけではなく、おおむね、そういった人を揶揄する意図もないので注意されたい。
ごく一般には、「右」「みぎ」「左」「ひだり」と言葉または文字で指し示されたとき、または、「右とはどちらか?」というような判断を求められたときに、それに呼応する方向を確定するまでの脳内処理に若干の時間がかかる様子を指す。
“左右盲”に関しては、幼少時の
というような「左右についての心傷事件」が原因になっているような気もするが、調査が行われているわけではないので鵜呑み不可。
ともあれ、“左右盲”の人間は、左右の判断に際して若干の判断材料を必要とする。実際の判断にかかる時間は1秒未満から数秒まで様々。もちろん、咄嗟の判断も可能ではあるが、誤る可能性が増加する。
方向自体がわからないのではなく、「右」「左」という言葉と実際の方向を結びつけるのに時間がかかる。
矢印「→」「←」の方向に何かをする、というのは通常の判断で行うことができるが、「→ って左右どっち?」という問いかけをすると詰まる。
若干の時間をかければ正しい判断ができるので、“左右盲”を自称する人間に対しての方向の指示は
(視覚に訴える指差し方向指示や「こっちに曲がって(右肩を叩く)」など)
といったようにすることが、お互いのために望ましいと思われる。
なお、左右ではなく東西が判断しにくい“東西盲”とでもいうべき状態にある人もいる。