歌舞伎役者の名跡の1つ。屋号は初代から八代目までが立花屋で九代目は澤瀉屋。 初代市川八百蔵の俳名に由来する名跡で、この初代と、続く六代目までは、それぞれ「中車」を俳名としては使ったが、実際にこれを名跡として襲名することはなかった。実際に「市川中車」を襲名したのは七代目が最初である。また、九代目市川中車は俳優の香川照之で、歌舞伎出演の際に名乗り、一般の俳優業では「市川中車」を名乗らない。
六月大歌舞伎の昼の部は『傾城反魂香』のめずらしい澤瀉屋の型での上演。 早々に花道から又平夫婦が登場し、師匠の将監と挨拶を交わすこと。先代猿之助もやらなかった、澤瀉屋につたわる古いやり方だそうだ。これにより弟弟子の修理之助が虎退治で手柄をたてるのを、又平がまさに眼の前で見せつけられることになり、その後の又平の焦りや絶望がきわだつ。またドラマの流れとしてもこのほうが自然で効果的だというのは言うまでもない。きわめてすぐれたアイディアだと思うが、修理之助と手柄をあらそって「あの私が」と声をあげるのはいただけない。物言わぬ又平がこの幕の中盤になって、吃りながら怒涛のように話しはじめる見せ場が生きないから…
【期待】 Twitterでどなたかが、『歌舞伎の新・三国志は、三国志ではないが、ほとんど宝塚のベルサイユのばらである』と言っているのを見て、気になりました。そして、この演目は猿翁さんが宝塚のベルサイユのばらにインスパイアされて作った、と聞きました。三国志の知識は、小学生の時に漫画を読んだくらいで止まっているので「こんなの三国志じゃないや」となる心配もなく、むしろ『実質ベルばらな三国志』にめちゃくちゃ興味を持ったわけです。ポスタービジュアルを見ても、骨太の歴史ものか、みすず学苑の車内広告にしか見えず、まさかグランドロマンスものだったとは、ミリも想像していませんでした。筋書きも前情報も全く入れずに…
今日は久々のエントリー。歌舞伎はコロナ禍になってもちょいちょい見にきていたのだけど、今回は特別に私が歌舞伎にハマるきっかけになった、スーパー歌舞伎「新三国志」のリメイク版を見てきたので、感想を書いておこうと思う。 新三国志の初演は1999年。母親と初めて歌舞伎を見に行ったのが発端。でも、普通の歌舞伎だと多分意味がわからないんだろうというのと、スーパー歌舞伎ってなんだろう?って話をしていたので、見に行ってみたらすごかった。現代語だからセリフがわかるし、宙乗りはあるし、立ち回りもすごいし、大迫力。そして、ストーリーもすごくよくて、各シーンの造形美も素晴らしい。三代目猿之助ってすごい人だなーと思って…
トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。 朗読劇を観てきました。僕は映画やドラマは観るものの、舞台には興味がなくて、一度も観たことがありません。ミュージカルなんて、歌を歌う理由がわからないので(笑)観る気もしません。そんな僕が観てきたのが朗読劇『天切り松闇語り~闇の花道~』です。 浅田次郎さん原作の『天切り松闇がたり』シリーズは、僕の読書歴代ナンバー1の作品。浅田次郎さん自身も「『天国までの百マイル』だろうが『鉄道員(ぽっぽや)』だろうが、『天切り松』の前ではひれ伏す。『天切り松』を書きたくて小説家をやっている」というようなこと語っているほど。大正時代に活躍したスリや泥棒たち…
新型コロナウイルスに翻弄された今年ものこるところひと月。師走の歌舞伎座も再開以来の四部制である。その第二部をまずは観る。 『心中月夜星野屋』は二年前の納涼歌舞伎に初演された新作歌舞伎。昨年は金丸座で、そして今年は歌舞伎座でと、新作としては異例なペースで再演をかさねている。ひとつには今年度はじっくり稽古して新しい作品に挑むことが許されないため、出演者も少なくすでにできあがっているコンテンツを、ということもあるだろう。またどうじに、この『星野屋』を歌舞伎のあたらしいレパートリーとして定着させようという、作り手の意志も感じられる。 一昨年の初演のときも、そのシンプルで効果的な構成のよさは際立っており…