宝永2年8月29日。山伏福泉院が打捨、火付の木引五兵衛娘が獄門となる。立返り者2人が様物となり、年寄衆に下される。明日は八幡祭なのでこの日車が曳かれる。本重町あたり常瑞寺の地子六兵衛の子11歳が御園町で太公望の車に引き殺される。引き殺した町からこの子の法事と年季などの面倒をみるようにとの命がある。しかしながら実父などはこれを辞すると。
元禄9年1月2日。水野六兵衛召仕の女が母に対して不届きを怒り、脇差でむね打ちにしようして掌が返ってしまい切り殺してしまう。あるいは、この女はほう引き(宝引き、正月に行う福引き)をやって大負けをする。夜中になって六兵衛母が儲かったようなことを言うので負けた彼女は腹を立てて叩いたとも、蹴ったとも。死体は常瑞寺に葬る。