幸徳秋水

幸徳秋水

(社会)
こうとくしゅうすい

1871(明4)9.23-1911(明11)1.24 
 初期の社会主義者、日露戦争時、非戦論を展開。アナキズム思想を獲得。
 本名傳次郎 高知県幡多郡中村生まれ
 土佐自由民権運動の影響を青年期に受ける。
1888年、中江兆民の書生、
98年『万朝報』の記者。
1901年5月18日 安部磯雄、片山潜、木下尚江、河上清、西川光二郎らとともに日本最初の社会主義政党「社会民主党」を結成、20日に結社を禁止される。
03年10月 日露非戦論を主張、
11月 堺と週刊『平民新聞』発行、
04年 11月一周年号に堺と共訳で〈共産党宣言〉を掲載、即日発禁、
05年2月秋水は禁錮五カ月の刑で巣鴨監獄に入る
獄中でクロポトキンの著作に親しむ。
05年12月から半年間、サンフランシスコ、オークランドで日本人社会主義者と交流、
07年2月、第2回社会党大会で直接行動派が党内の主流となる
秋水は非戦論集『平民主義』を刊行、即日発禁、
07年、社会主義夏期講習会で講師
07年10月、秋水は病気で中村に帰郷、クロポトキン『麺麭の略取』の翻訳を進める。
08年7月、翻訳を完成、大石誠之介、内山愚童ら各地の同志を訪ねながら8月に来京、
赤旗事件の公判傍聴、柏木に住み平民社とする。
12月中旬には『麺麭の略取』を刊行。
09年2月13日には宮下太吉が初めて平民社(巣鴨)を訪ねる。
3月、千駄ヶ谷へ移転、管野の同居が始まる
『自由思想』を発刊、弾圧を受ける
同時期、宮下太吉は天皇打倒を決意、爆弾を試爆させる。
管野、新村は宮下と接触、古河力作も加わり、秋水も消極的に話し合いに関与、
しかしその後、管野は入院、秋水の病状の悪化、警察の監視の強化もあり、
10年3月には平民社を閉じ、湯河原に療養、執筆活動に専念。
計画は自然消滅。
しかし宮下が爆弾製造の容疑で長野県明科で逮捕され、
続いて秋水も6月1日に湯河原で逮捕される。
検事調べで大逆罪の容疑へと広がる
26名が予審起訴、大逆罪のため大審院で審理、
秋水以下、計画とは全く無縁の同志も含め24名に死刑判決。
(直後に12名は減刑)

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