三次鳳源寺境内の中にありました「浅野長治公之像」です。 浅野因幡守長治(1614~1675) 広島浅野藩主長晟の長男として生まれ、寛永9年(1632年)広島浅野藩より5万石を分封され、初代藩主として三次浅野藩を立藩。 その名君ぶりは水害に悩まされる河川堤防造成、町並整備、寺社の建立、保護等に見ることができる。 また、三次の鵜飼、三次人形の始まりも長治によるものである。 赤穂藩主浅野内匠頭長矩の正室、阿久利姫(後の瑤泉院)の父君でもあり、 参勤の折、江戸でその生涯を終えるも、遺言により墓所は比熊山中腹にあります。 とあります。 浅野長治は、学問を好み、尾関山山頂に天体を観測する「発蒙閣(はつもう…