広島県内で、鉄道・バスなど交通運輸事業を主に、広電グループとして、流通・不動産・建設・レジャー・ホテル・観光・保険・ゴルフ場・飲食などの様々な事業を展開している。
英文表記:HIROSHIMA ELECTRIC RAILWAY CO.,LTD.
略称:広電(ひろでん)
交差点を挟む紙屋町東・紙屋町西の両電停はかつてはいずれも「紙屋町」とされ、車内放送でも「紙屋町。...続いて紙屋町。」と案内されていた。
“乗換え制度”→ 乗換電停
平和の尊さを語る原爆ドーム、広島平和記念公園へは、広島駅から約10〜15分
参照 → 広電グループ
- 1910年(明治43年)6月18日
- 広島電気軌道株式会社 設立。路面電車に1435mmのレール幅を採用した。
- 1912年(大正元年)11月23日
- 開通式が行われる。
- 1912年(大正元年)12月8日
- 広島駅前-相生橋、紙屋町-御幸橋、八丁堀-白島の路線で運行を開始した。以後、順次路線の拡張がおこなわれる。
- 1917年(大正6年)8月2日
- 広島瓦斯株式会社(現在の広島ガス)に広島電気軌道が吸収合併され、広島瓦斯電軌株式会社が発足。
- 1919年(大正8年)
- 他の事業者による路線バスの運行が本格化する。
- 1922年(大正11年)8月22日
- 鉄道線(1435mmのレール幅)己斐-草津駅が開業。以後、徐々に広電宮島口駅まで路線が延長される。
- 1928年(昭和3年)10月14日
- 広島乗合自動車株式会社(バス事業者)開業。
- 1931年(昭和6年)6月
- 広島郊外自動車株式会社(バス事業者)開業。
- 1938年(昭和13年)2月
- 広島乗合自動車を買収し、自動車部としてバス事業を開始。
- 1941年(昭和16年)8月
- 広島郊外自動車を買収。
- 1942年(昭和17年)4月10日
- 広島瓦斯電軌から「広島電鉄株式会社」として分離。この日が設立年月日となっている。
- 1943年(昭和18年)4月10日
- 鉄道省の指示により、広島市周辺の郊外バスを運行する7事業者を合併、統合。
- 1943年(昭和18年)4月
- 広島電鉄家政女学校を設立。
- 1945年(昭和20年)8月6日
- 原子爆弾により被爆。本社機能を郊外の楽々園に移転。
- 1945年(昭和20年)8月9日
- 廿日市変電所からの送電により西天満町-己斐の運行を復旧。広島電鉄家政女学校の生徒が乗務した。
- 1945年(昭和20年)8月13日
- 市内バス4台が運行開始。路線バス事業の復興が始まる。
- 1945年(昭和20年)8月15日
- 小網町-己斐で復旧。以降も復旧が進む
- 1945年(昭和20年)9月17日
- 水害により、天満橋軌道専用線が不通となる。
また、この水害により広島電鉄家政女学校の再建は断念され女学校は解散となったようだ。- 1945年(昭和20年)10月1日
- 天満橋軌道専用線、山口町-己斐間が復旧。以降も復旧が進む。
- 1946年(昭和21年)8月30日
- 本社機能が楽々園から千田町に復帰。
- 1958年(昭和33年)3月6日
- 宮島松大観光船(現在の宮島松大汽船)に資本参加。
- 1959年(昭和34年)4月1日
- 広島観光開発が宮島ロープウエーを開業。
- 1962年(昭和37年)11月28日
- 備北交通に資本参加。
- 1964年(昭和39年)3月28日
- 芸陽バスに資本参加。
- 1971年(昭和46年)9月9日
- 広島バスと資本提携。
- 1973年(昭和48年)7月17日
- 独占禁止法に違反するとされた広島バスとの資本提携について同意審決により解決。
同意内容は所有する広島バスの株式、11万株の内8万5千株を処分する。広島バスの役員となっている広島電鉄役職員は広島バスの役員を辞任する。
「広島電鉄開業80年創立50年史」を元に簡略に記述。
※画像の社章は“電気とレールの記号をカタカナの“ヒロ”*7で囲む”
止まりつつ止まりつつ行く街なかの路面電車の時間ゆっくり あの人の言葉 私は、やはり歌にするなら、自分の発見した喜びを伝えたい。 ~俵万智 ランキング参加中言葉を紡ぐ人たち ランキング参加中短歌