庚申信仰に基づき、交通の要衝などに置かれていた石碑。
神奈川県横浜市青葉区鴨志田町の甲神社(訪問日:2024年3月2日)鳥居「甲神社」扁額鳥居をくぐってすぐ右手に石仏石塔が散らかり気味に並んでいます。今回は民間信仰塔のみ載せます。地神塔(併用道標) 刻銘「文政十丁亥年十月吉日(1827) / 講中 / 地神塔」「左り 大山 奈可゛つタ 道」 青面金剛像庚申塔(併用道標)① 刻銘「文化十三丙子年九月吉日(1816) / 庚申講中」「西 大山道 / 東 江戸ミち」御尊容(立像、一面六臂、宝剣・ショケラ型)、その他像容・彫像(三叉戟、矢、宝輪、弓)二鶏像、一邪鬼像、三猿像。いずれも摩耗しています。 笠塔婆型石塔。寛文九年銘(1669)。全体的に崩落して…
愛宕神社にある起倒流拳法碑に几号水準点が刻まれていることは下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 愛宕神社の境内の整備工事が行われ、見つけられなかっただけかもしれないが、起倒流拳法碑が行方不明になっていたことを下記の記事で紹介したことがある。 citywalk2020.hatenablog.com 整備工事が終わったと思われる頃に訪れたいと思っていて、たぶん終わっているだろうと事前に確かめもせず、2024年4月11日に訪れた。女坂も通れるようになっていた。 上から下を見下ろす。 男坂に比べると緩やかなのかもしれないが、女坂は107段あり、結構急…
滝桜から三春の街中に戻り途中 化粧坂(庚申坂)を下りて行くと護讃地蔵大菩薩を祀った祠があり その前に庚申塔がたくさんありました 庚申塔はどれも文字塔 一番道路寄りには化粧坂井戸と水神様を祀った石塔があります 道路反対側にはミズバショウの花咲く真照寺があります ここにも庚申塔がありました 文字塔でした そして 真照寺うらの湿地に もう水芭蕉が開花してました もう一箇所 庚申塔を訪ねて桜の名所福聚寺にやってきました 本堂の左側 十一面観世音堂 お堂の右手に 文字塔の庚申塔 寛延3年(1750年)9月27日 造立 奥に 青面金剛像の庚申塔がありました 造立年不明 馬頭観音堂なども訪ねたいところです
青森県西津軽郡鰺ヶ沢町一ツ森町字葛ヶ沢の路傍(訪問日:2023年9月17日)一ツ森集落の北口に白く彩られた目新しい地蔵堂が建っており、そのそばに2基の庚申塔が並んでいます。手前のものから載せます。文字庚申塔(猿田彦大神塔)①刻銘「明治廿四年六月廿八日(1891) / 下村講中 / 猿田彦大神」 文字庚申塔(猿田彦大神塔)② 刻銘「弘化三丙午年六月七庚申日(1846) / 猿田彦太神」 所在地
埼玉県川口市宮町の宮町庚申堂(訪問日:2024年2月2日)なぎさ川口宮町保育園の近くに庚申堂が建っています。幟には「奉納 宮町庚申塔 宮町庚申講」の文字。堂の傍には馬頭観音塔が3基建っています。いずれも一面二臂像です。 堂内には石仏が納められています。青面金剛像庚申塔(一面六臂) 刻銘「享保十三戊申年十二月吉日(1728) / 為男女菩提也 / 施主拾三人」御尊容一邪鬼像と三猿像堂内には「令和6年『庚申様祭礼日』のご案内」の紙が留めてありました。先ほどの幟にもある通り、ここ宮町には庚申講が現在しているようです。 宮町庚申堂の所在地
原庭から浄念寺川せせらぎ緑道めざして狭い道を行きます 崖に囲まれた狭い急坂を下りて行くと 祠に仏像が祀られています すぐ上には社がありました 更に降りて行くと石塔があります いよいよ浄念寺川せせらぎ緑道です 右に左にと急流が水しぶきをあげて流れ落ちます 急流に水車が興を添えます 石で護岸された水路をどこまでも流れていきます 護岸にはスズラン ハナニラの群落 浄念寺川せせらぎ緑道を堪能した後は 東方天満宮の奥にある 原谷戸庚申塔を目指します 東方天満宮の案内板の横に鎮座してます 青面金剛像です 再建塔 文化14年(1817年)造立(39番) そばに61番の旧塔もあります
東京都杉並区の寺社散策が続きます。今回は、真言宗室生寺派の「龍光寺」です。 前回の「永福稲荷神社」から北東方向へ、京王井の頭線を越え「神田川」沿いに歩いて10分位の所にあります。神田川は、区内の散策で中野区から新宿区、文京区、千代田区とよく出会います。神田川の源流は、井の頭公園の池です。 石柱門から山門へ 山門の前に、龍光寺の石柱門が建っています。右側に山号の「泉涌山」、左側に寺号の「龍光寺」の文字が刻まれています。 石柱門を入ると直ぐ左には石庭があります。 巨大な石燈籠があり、「大師灯籠」と呼ばれているようです。 石柱門の直ぐ右の二階の建屋が、大師堂です。 参道を進むと石段があり、山門まで少…
都筑中央公園渋沢谷から移設された庚申塔(2番)を探して 緑区西八朔の願弘山極楽寺にやってきました 山門前の階段左右には沢山の石塔,石仏があります まずは地蔵菩薩 左手には4体の石塔 亭保元年造立の青面金剛像 これではありません 他に仏塔が2体あります 次の段では地蔵菩薩と3体の石塔 左側には6体の仏塔,石塔があります 更に上がると5体の仏塔があります 右手には3体の石塔があります 左が地神塔 中央は青面金剛像、明治19年(1886年)造立と記されてます 渋沢谷から移設された庚申塔(2番です) 右隣の青面金剛像は文字はわからなかったのですが 恐らく亭保12年(1727年)造立の庚申塔(2番)のよ…
風が強い快晴の1日 裏高尾の梅林を訪ねました 堤防の遊歩道梅林でもだいぶ開花してます 白い梅花のトンネル 天神梅林も開花 天満宮のお参りして 高架道路ぎわ梅花 するさし梅林も開花 花粉が多い予報通り 旧甲州街道沿いでは 花粉光環が見ることができるほど 川面の梅花 旧甲州街道沿いに祠がありました 地蔵菩薩と庚申塔が祀られてます 青面金剛像:宝永3年(1706年)造立 一猿の上にいます 左右側面にも猿がいます 庚申塔(宝暦6年8月・1756年)は小仏峠にもあるようです 定林寺には二三夜塔が 念珠坂には青面金剛の文字塔:寛政12年8月(1800年) 関所梅林は日当たり良いせいか だいぶ梅花は落ちてし…
川和町の庚申塔と道祖神めぐり 川和町1430辺りの双体の道祖神です 寛政12年1800年 祠の中で大事に祀られています 近くの神社の二十三夜塔と明記された石塔があります もうちょっと行くと川和宿に庚申塔(28番)と道神祠の文字塔があります 庚申塔と 文字塔 道神祠の石塔 八幡神社境内裏手には7体の石仏が置かれてます 庚申塔(27番)が3体 安永7年1778年 川和公会堂前から移設 唐破風笠付角柱型庚申塔 宝永3年1705年 川和薬師堂から移設(23番) 2体は青面金剛像で1体は文字塔でした 明治24年1891年 そんな中 道祖神の文字塔も1体ありました 川和町2344にある道祖神の文字塔です …
北九州市にある折尾駅(おりおえき)の、東南東約300mの地点に折尾鷹見神社が鎮座します。立派な神社です。その参道脇に庚申塔が一基まつられていました。 場所:福岡県北九州市八幡西区南鷹見町 座標値:33.862133,130.715576 猿田彦大神、明治三午九月。明治三年は西暦1870年で、干支は庚午(かのえうま)です。 折尾駅の南東部には、古い町並みが残っています。路地が細く、車が1台やっと通れるほどの幅です。折尾駅周辺の100円パーキングで車を停めて、徒歩にて鷹見神社までは移動しました。
埼玉県さいたま市南区内谷4丁目の猿田彦大神堂(訪問日:2024年2月2日)一乗院の寺号標の向かいの歩道に1基の石仏を祀った堂宇が建っています。株式会社信濃交産美女木営業所の前です。「猿田彦大神」扁額青面金剛像庚申塔 刻銘「元文二丁巳二月吉日(1737) / 内谷村講中十四人」御尊容(立像、一面六臂、宝剣・ショケラ型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、三叉戟、矢、宝輪、弓)一邪鬼像、二鶏像、三猿像 猿田彦大神堂の所在地
↑は「賀恵渕のシイ(スダジイ)」。千葉県君津市。 関東屈指の秘境線にして全国屈指の不採算路線として知られるJR久留里線のエリアにある巨木です。最寄り駅はそのJR久留里線の小櫃駅(おびつ)。 一応八坂神社の境内にあります。「一応」というのは神社そのものがもともとこの樹を祀ることを前提に創建されたと考えられるから。説明板には「樹冠は境内の大半を覆っている」と書かれていますが、この樹木に合わせて境内が確保されている、といった方が適切に思えます。 現地の説明板 なんと言ってもその異形な姿に圧倒されます。写真でも十分にその異形さが伝わるのではないでしょうか?成長をはじめたかなり早い段階で斜め...という…
いままではわりと線路沿いだったので途中リタイヤできる安心感があったのだけど、今回の戸塚-藤沢間は線路が大船を経由しているので東海道ルートから少し離れている。7.7km、googleマップだと徒歩で2時間ちょっとだが、1時間も歩けば疲労が蓄積してペースダウンするものである。それにこういうのは寄り道してなんぼ、楽しくなければ意味がないだろう。というわけで、今回はちゃんと午前中から始めることにして10時半開始である。そんな事情で長いのでお暇なときにどうぞ。 はい、前回の続きから、内田本陣跡。昼飯を楽しみにして歩くよ。 チェックポイント脇本陣跡。 澤辺本陣跡。ここが戸塚宿の中心ですな。 八坂神社。 戸…
青森県青森市油川字浪返の油川神明宮(訪問日:2023年9月18日)国道280号線沿いに鎮座する神社です。となりには明誓寺があります。境内に立派な覆屋を伴って3基の石塔が安置されています。真ん中のが庚申塔ですが、いわゆるアバタ石に文字を刻みつけてあります。文字庚申塔(猿田彦大神塔)刻銘「□〜□七月廿三日 / 施主 / 猿田彦大神」 狛犬2基。このように眷属を従える庚申塔は津軽だと珍しいです。 油川神明宮の所在地
(令和6年3月27日その4) 千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、佐倉市先崎の雲祥寺(55番)の次は、先崎地蔵尊に寄り道した後、八千代市下高野(しもこうや)の福蔵院(56番&番外)に参ります。 雲祥寺・先崎会館を出て右(東)へ、長屋門前を通過して、突き当りの三叉路、実は四叉路、先崎雲祥寺東の四叉路右に曲がります。続く三叉路、先崎みどり台霊園前三叉路これも右、後は道なりで緩く右にカーブして、西に進みます。そして、佐倉市先崎と八千代市下高野の境に差し掛かる丁字路手前、右手の墓地の先に先崎地蔵尊があります。先崎地蔵尊前 先崎地蔵尊 先崎地蔵尊全景狭い境内奥に地蔵堂、道路際右(西)に庚申塔群です。先崎地蔵尊地…
東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 港区に愛宕山という山がある。 標高は25.7mしかないが、自然地形の山としては都内最高峰となっている*1。 この山は江戸の頃から「伊勢へ七度 熊野へ三度 芝の愛宕へ月参り」(最後は「愛宕様へは月参り」とも)と言われ、多くの錦絵に描かれているほどの人気がある(上の画像は昇亭北寿画『東都芝愛宕山遠望品川海図』)*2。 また明治以降では、『鉄道唱歌』1番の「汽笛一声新橋をはや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる月を旅路の友として」という歌詞でも有名だ。 そんな愛宕山には、江戸時代から愛宕神社が鎮座している。 周辺は再開発が進んでいるし、愛…
千葉県市川市大町の駒形庚申宮(訪問日:2024年3月16日)市川市動植物園入り口から西へ約150メートル進み、古川園へ続く道を折れると左手に駒形庚申宮という堂宇があります。中には石仏が1基納められています。庚申塔です。青面金剛像庚申塔 刻銘「天保十三壬寅年二月吉日(1842) / 大町村」御尊容(立像、一面六臂、宝剣・ショケラ型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、三叉戟、矢、宝輪、弓)一邪鬼像。赤く彩られた跡が認められます。邪鬼を悪疫(この場合マラリアか疱瘡)に見立てたものと思われます。三猿像堂内に掲げられていた額によれば、このお堂は平成二十二年六月吉日に新築されたようです。 駒形庚申宮の所…
青森県北津軽郡鶴田町廻堰字亀甲の八幡宮(訪問日:2024年1月3日)一の鳥居「八幡神社」扁額一の鳥居をくぐってすぐのところに木鳥居を伴う石仏石塔をまとめた一画があります。向かって右から載せます。馬頭観音塔(馬頭観音坐像塔) 刻銘「昭和廿二年旧七月十七日(1947) / 尾原村村中建之 / 馬頭觀音」御尊容(坐像、三面六臂) 文字庚申塔① 刻銘「文政五壬午年六月十八日(1822) / 尾原村中 / 庚申塔」 文字庚申塔(石造庚申堂塔)② 刻銘「天保三壬辰歳九月十七日(1832) / 邑中 / 庚申堂」 無銘の石塔。並び的に二十三夜塔か庚申塔の類と思われます。 おまけ社殿社殿に飾られていた鳥居額 …
東京都千代田区神田須田町2丁目の柳森神社(訪問日:2024年2月17日)神田川の南岸、柳原通り沿いに鎮座する神社です。社殿と神楽殿(神輿殿?)の間の通路を進むと社務所に着きます。社務所前の茂みに庚申塔がひっそりと置かれています。青面金剛像庚申塔刻銘「正徳五乙未年□〜□(1715)」御尊容(立像、一面六臂、合掌型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、三叉戟、矢、宝輪、弓)三猿像は風化により確認できず。 おまけ境内に置かれた力石群。千代田区の文化財に指定されています。鳥居のそばには富士講関係石碑群があります。こちらも先ほどと同様に文化財指定を受けています。福寿たぬき尊像。ユーモラスなデザインです。…
神奈川県座間市四ツ谷の路傍(訪問日:2024年2月9日)旧八王子街道の三叉路に円柱型の庚申塔が建っています。文字庚申塔(篆書体、併用道標) 刻銘「嘉永七甲寅歳八月(1854) / 庚申塔」「右 八王子 ほしのや ミち / 左 厚木 ひら塚 道」 所在地
街道旅 令和5年12月9日(日) 4回目の甲州街道旅は下高井戸宿を後にし 次の国領j宿手前で終り、さあ、次は・・・・ 天候不順の令和6年。 遅れた桜もピークを過ぎ、ようやく天気も安定しそう。 令和6年4月11日(木) 昨年12月で途絶えていた甲州街道の旅を再開に。 どんどん足の進みがのろくなり、長く歩くのに不安を覚えるが、 ゆくりでいいんじゃない!とカミさんに押され、よし、やてみるか!と、 電車、バスを乗り継ぎ、前回足止めの京王線柴崎駅へ降り立った。 駅から北へ数分行くと国道20号(現甲州街道)柴崎駅入口交差点。 AM10:30 歩き旅の再開でどこまで歩けるかな? 朝はまだ冷え込みがあったが、…
東京都港区赤坂1丁目の正福寺(訪問日:2024年3月20日)正福寺の納骨堂の入り口に石造の堂宇が2棟建っており、左の堂内に庚申塔が納められています。全体的に像容が崩れており、銘文や細かな意匠は確認が難しいです。青面金剛像庚申塔 刻銘「(銘不詳)」御尊容(立像、一面六臂、宝剣・ショケラ型)、その他像容・彫像(日天月天、瑞雲、矢、弓、宝輪、羂索(?))一邪鬼像と三猿像 正福寺の所在地
(令和6年3月21日その4) 千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、米本の林照院(50番&51番)の次は、米本の稲荷神社に寄り道した後、米本追分の大師堂(番外)、続けて、米本逆水の西福寺(52番)に参ります。 八千代市米本の昔からの集落を抜ける千葉県道4号千葉竜ヶ崎線の旧道、これを南から北に進んでの下宿交差点で斜め左に折れて、すぐの庚申塔群に参った後、そのまま北へ進みました。 その先の二股三叉路、米本稲荷神社南の三叉路右に直進しますと、すぐ左に稲荷神社です。 米本の稲荷神社 稲荷神社、八千代市米本2424番地。(千葉県の宗教法人名簿より) 道路に平行して、鳥居、参道、朱の鳥居と本殿です。鳥居入ってすぐ左…