比叡山一帯を境内に持つ、天台宗の総本山。 788年に最澄が一乗止観院として創建し、823年延暦寺の寺号を賜った。 境内は東塔・西塔・横川の三地域に大きく分かれている。
国宝の根本中堂を中心とする地域。延暦寺発祥の地。
釈迦堂や常行堂・法華堂が並ぶ通称「にない堂」などが有名。
横川中堂を中心とする地域。横川中堂は1971年に再建されたもの。西塔から4キロほど離れている。
大阪は明日雨模様のようなので、花粉が沢山飛んでるようですが、天気が良く、春の陽気なので比叡山へ登ってみることに。 京都河原町からバスに揺られること30分。 修学院から比叡山を目指す。 のんびりした街並みで落ち着く場所でした。 きらら坂碑から急坂登山がスタートし、少し登った場所から京都北部を眺める。 更に上に登り、途中からなだらかになったり急坂だったりを繰り返す。 それでも愛宕山や急坂続きの六甲山、摩耶山に比べればマシな気がする。 何度も休み休み登ったら90分くらいでロープウェイ駅へ到着。 2時間くらいかかるようなことが書いてあったのに予想外。 更に登り、ロープウェイの山頂駅の北側にはこんな開け…
最澄は822年に、空海は835年に遷化する。(なお空海は死んではおらず、生死の境を超えて永遠の瞑想に入っていることになっている。高野山奥之院にいる彼のもとに、1日2回食事と着替えが届けられる、という儀式が今も行われている。)この二大巨頭の死後、2つの教団はどのように発展していったのだろうか? まずは天台宗から。最澄の死後、彼の後継者たちは未完であった天台宗の教義の確立をせんとする。だが空海の真言宗との関係性は途絶え、これ以上の密教経典の借用は望めない。ならばいっそ、ということで改めて遣唐使の船に乗って、本場の密教を学び直しに行ったのである。倭寇の時代とは大違いで、当時の日本の航海技術は極めて低…
このブログでは、 比叡山延暦寺の歴史と自然の魅力が満載の 比叡山延暦寺についてご紹介します。 比叡山延暦寺は、 日本仏教の母山と呼ばれる天台宗の総本山で、 世界遺産にも登録されています。 しかし、 かつては織田信長によって焼き討ちされた 悲惨な過去を持つ場所でもあります。 そんな比叡山延暦寺は、 今では約2,000本のモミジやサクラなどが 美しい紅葉の名所となっており、 秋には多くの観光客が訪れます。 今回は、 比叡山延暦寺の見どころや 信長の焼き討ちの歴史、紅葉の時期や混雑状況、 駐車場やアクセス方法などを詳しくご紹介します。 また、 周辺の宿泊施設や 観光地もおすすめしますので、ぜひ参考に…
東塔・阿弥陀堂への階段 2010年12月30日 阿弥陀堂 東塔 昭和55年再興とありました
比叡山延暦寺 戒壇院 2010年12月30日 戒律を授ける・・
比叡山 「根本中堂」 2010年12月30日 延暦寺は延暦7年(788)創建とか
比叡山 ケーブル延暦寺駅 2010年12月30日 延暦寺への道
11月某日 生ものと思い出話は新鮮さが命。生ものは腐ってしまうし思い出は色あせてしまう。大事だからと言って抱きしめれば抱きしめるほど傷みが早くなるのが生もの。どんなに大切にしてもどうしても欠落してしまう思い出。いつまでも過去にとらわれず、前を向いて明日を見据え一歩ずつ歩いていこう。 ところで、邪王炎殺黒龍波って撃てるようになるんですか?(*'▽') どうも、生ものは腐る前に焼いてしまえでお馴染み邪王の炎殺クッキング!料理長の黒龍です。嫌な記憶がことごとく消し飛ぶほどの衝撃をお届けします。というわけでね、今回のメイン料理はこちら! なにか始まりそうになった気がしますが、これ以上は茨の道過ぎるので…
比叡山に初めて登ったのは小学校4年か5年の夏休み。叔父に連れて行ってもらい、京都の出町柳から叡山電車で八瀬まで、そこからケーブルカーとロープウェイを乗り継いで山頂まで。その後何回か登ったことがあるが、下から上まで徒歩でというのは大学の陸上部で合宿した際に1回経験しただけ。歩くというより駆け上がるという感じで、とてもしんどかった記憶がある。現在では散歩しながら麓の坂本から比叡山を眺めるのがほぼ日課になっている。とくにこの頃は夕焼けが美しく、散歩しながらもっとも心安らぐ季節である。先日、久々にケーブルカーで上まで登り、これまで行ったことのない横川まで足を延ばした。 まずは京阪電車坂本比叡山口駅の斜…
さてさて、今日やって来たのは滋賀県の比叡山ドライブウェイ。眼下に見下ろすは琵琶湖にかかった琵琶湖大橋。滋賀県の比叡山の標高は848mなので高野山とほぼ同じ標高なのだが、見晴らしがいい分かなり雲が近く感じる。 比叡山延暦寺に行くには比叡山ドライブウェイを使わないと行けないんだけど、この比叡山ドライブウェイが結構、通行料金が高いのよ。縦走すると2430円。なんだよね。高野山は通行料金とかないんだけど。下世話な話で申し訳ないんだけど、空海は無料で、最澄は有料って印象があったりするんだよな。そんなことで比べるものではないことは重々承知しているんだけど・・・ そしてこちらは京都側の景色。今日は気温は低い…
真ハイスクールD×D 第3巻 修学旅行のサンシャワー P.201-210 レビュー 楽しい修学旅行のひとときもつかの間他クラスとの対戦も間近に控える主人公たち。裏京都の鬼門の比叡山延暦寺と裏鬼門の石清水八幡宮における敵陣とのバトルの幕開け。修学旅行の筈だが何だか明らかにバトル要素の方が強いように思えてならない。登場人物に関しても何だか難解な名前のキャラクターが多くどのキャラがどうしているのか分かりにくい。兎に角キャラだけでも人数が多く把握が大変というのが現状。また特徴も然りである。敵陣クラスの引率(?)のロスヴァイス先生も本気乗り気での応戦体勢である。この熾烈な因縁バトル一体どのような展開で勝…
<国つ神と天つ神とのせめぎ合い> ・本章のはじめに述べたように、神の歴史は人間の歴史でもある。神の足跡をたどれば、人間の足跡が見えてくる。原初の神は動物神であったと論じたが、気をつけなくてはならないのは、神話の中でケダモノの姿をした神が現れてきたら、それはまったく別な意味をもつかもしれないことだ。 ととえば「神武東征伝」で、神武が熊野に到着したとき、「大熊」が現れたとたん、彼も彼の軍隊も戦意を失い、眠りに陥ってしまう話があるが、この場合の「大熊」は、すでに紀伊半島に暮らしていた土着民のことだろう。 したがって山の神という言葉を使った場合も、文字通り山岳の神という意味と、記紀の中で「伏わぬ人達」…
旅4日目の最終日です。最終日は京都を1日観光する旅程にしました。1日の時間で回れるスポットは少なかったですが、比叡山・銀閣・金閣と巡ってきました。 比叡山は、京都から行くルートと滋賀から行くルートがあるようで、京都ルートは冬季期間はロープウェイ・バス共に運休してていけないようです。そんな運休期間が3月19日で終了しており、ちょうど運行期間になってたので京都ルートで比叡山まで移動。晴れてたら綺麗だろうなぁ・秋の季節だったら尚よいだろうなぁ~と思いながら写真を撮ってましたw DSC_2120 posted by (C)ばっぺん ロープウェイに乗る前に撮影した写真です。歴史の教科書とかに昔の人が描い…
遣唐使に選ばれた多くの僧たちが大陸へと渡ったが、その正確な人数はデータが残っていないので分からない。遣唐使を構成するメンバー数は、前期は200~250名ほど、後期は5~600名ほどであったが、そのうち僧は何名ほどいたのであろうか? 遣唐使に関する記録が最も残っているのは、第19回目である。なぜ残っているのかというと、この遣唐使には前々回の記事で紹介した、あの円仁が参加していたからだ。彼は「入唐求法巡礼行記」という、遣唐使についてのみならず、7世紀の中国に関する社会風俗についてなど、極めて優れた記録を残している。 この記録によると、第19回遣唐使の参加人数600名ほどのうち、留学僧ないしは請益僧…
ソロツー計画 和歌山県 龍神スカイライン 龍神温泉 滋賀県 琵琶湖1周 大阪から大津へ 1泊 琵琶湖1周 1泊 帰宅 2泊3日 近江神宮、延暦寺、三井寺 温泉はいりたい 熊本県 阿蘇周遊 大阪から大分県へフェリー泊 大分から阿蘇市を通って熊本県で1泊 熊本城をみてから阿蘇市を通って大分 フェリーで大阪へ 3泊4日 フェリー2泊 やってみたいこと 北海道1周に向けてキャンプの練習 パラセーリング バンジージャンプ
東京国立博物館 本館 館内も見どころありです☆ 3月に入ってから寒暖差が厳しくなりました。 でもそろそろ桜の開花が楽しみですね。 東京上野の東京国立博物館では、毎年3月半ばから4月上旬ごろにかけて、 「博物館でお花見を」 という催し物があり、わたしは毎回楽しみにしています。 博物館の本館の裏手にはお庭があって、 「春の桜の咲くころ」 「秋の紅葉のころ」 の年2回だけ、 総合展(常設展)や特別展で訪れた方には そのままお庭を散策できるようになっています。 飲食したり、レジャーシートを持って日がな過ごすということは出来ないのですが、 静かに庭園の中を散策したい方にはお勧めです。 東京国立博物館の「…
まだまだバス撮りますよー
日記帳をめくったら、今はなきシネマカフェで五目湯麺の昼食を摂ったとある。直接散歩はしないので、一旦家に帰り14時を過ぎてから出発したようだ。天気が良かったとはいえ精力的だった。 武蔵小山商店街パルムの北側、ちょっと変則な「後地(うしろじ)」交差点にあるスーパー「LIFE」の入り口に……(品川区小山2-7-14) 蛇足ながら、リライトだから写真はそうとう省略しているが、当時の日記を振り返るとこの写真まではおんぼろデジカメを使っていた。傾きだした陽がまぶしく綺麗に撮れなかったので、次の写真からスマホに切り替えたようだ。楽天にアップするにはスマホの画像は大きすぎて、いちいち修正が必要だったからデジカ…
暑さ寒さも彼岸まで…これは春の場合は3月20日の春分の日を中日に、前後3日間を加えた春彼岸の頃に、冬の寒さが和らぐと言われる言葉です。同じく秋の場合、9月22日の秋分の日前後3日間の秋彼岸を境に、夏の暑さが和らぐという意味です。 今春も3月17日(日)から春のお彼岸に突入しました。私が勤務している日本最大級の墓地、比叡山延暦寺大霊園にも初日から大勢のお客様が、全国各地よりお参りに来られています😊 霊園では、お盆やお彼岸等の時には花売り用の売店を用意したり、飲食屋台なんかの出店があったりして、ちょっとしたお祭騒ぎのように賑わいます。 ただ今年は例年に比べると、やっぱり寒い💦そのせいか、初日は日曜…
その年の終わりには、常磐の里にて故・飛鳥井の女君のための供養を行った。かの女君への真心を、どれほど尽くしても尽くし足りないくらいの想いで盛大に執り行う。経巻や仏像の装飾はもちろんのこと、講師には比叡山延暦寺の首座の僧を招き、当日の法会に招かれた僧は六十数人におよぶ。堂々たる供養を見る人々は、「このような立派な供養をされる女君とは、さぞかしすばらしいお方だったに違いない」「若くしてお亡くなりになられたそうな。あれほどご立派な公達が人目もはばからずお泣きになるなんて」「惜しいお命でございましたのね」などささやきあっていた。法会も無事に終わり、居合わせた人々が退出してしまった後も狭衣はこの常磐にとど…
西中国山地登山旅行の最終日となる7日目は東京までの帰路を辿る一日となりますが、午前中は時間的余裕があったので、前々から行きたいと思っていた滋賀県の近江八幡の観光とその周辺の文化財巡りに当てました。前泊した京都から東海道本線で滋賀県入りし近江八幡に到着した後は前日同様にレンタサイクルを利用、まずは苗村神社や鏡の宿といった隣接した竜王町内の国宝や重要文化財を巡り。その後は重伝建にも指定されている近江八幡の旧市街地を見物しました。
京都 桜 開花 名所 2024 穴場 開花時期 こんにちは(^▽^)/ 早咲き桜がちらほら咲き始めていて、京都の桜 ソメイヨシノのシーズン目前ですね🌸 今回は、「京都人気のソメイヨシノの名所・穴場」についてです。 いつ咲くの?予約は?どうやって行くの?穴場は? と思っちゃいますよね♪ そんな疑問と、見どころや人気のアングルと共に綴りたいと思います🌸 良かったらご覧ください(⌒∇⌒) 🌸目次 🌸桜の開花・満開予測 🌸桜(ソメイヨシノ)スポット紹介 🌸伏見十石舟 🌸見どころ 🌸十石舟の運行について(2024年) 🌸スポット情報 🌸真如堂・竹中稲荷神社・金戒光明寺 🚌おでかけプラン 🌸真如堂 🌸見ど…
ねこまる (180.198.235.230) 2024-03-17 10:59:48 ショーシャンクさん、おはようございます。 本日は些細なことで質問ですいません。。 前回、比叡山延暦寺に参拝したときに、御朱印をいただきました。 普段、特に御朱印集めはしていないのですが、大黒堂と元三大師堂では気になり、いただきました。 御朱印ノートには貼らず、お札と一緒にお飾りし、毎朝毎晩手を合わせています。 その前にも御朱印をいただいたことがあります。 前にいただいた御朱印、ショーシャンクさんならどうなさいますか? ①捨てる ②重ねて飾る(以前いただいたものを一番表にする) ③重ねて飾る(一番新しくいただい…
" data-en-clipboard="true">(09年蔵出し) 京菓子では抜群の人気を博している「阿闍梨餅」。 モチモチの生地に上品な粒餡が入っているソフトな食感の饅頭で、生地の餅の様な食感が非常に印象的な菓子です。 一見、普通のシンプルなおまんじゅうですが、食べてみると食感とほどよい味わいがなんとも癖になる。 原材料も一流のものを使っているので当然と言っちゃあ当然なんですけど、ほんとに美味しい。 特に主役になる粒餡は、丹波大納言小豆を丁寧に炊き込んだ粒餡です。 「阿闍梨」という言葉は、仏教で修行僧を指導する立場の高僧のことを指します。 京都の鬼門を守る比叡山延暦寺で行われるとても厳し…
画像はAmazonより 堺屋太一さんの歴史小説「鬼と人と」を読みました。いつものようにKindleにて通勤や休憩時間の合間に読みました。 文庫版への序文というものがありました。著者である堺屋太一さんが、この小説を角に当たり、考え抜いた上での試みであったことが伺えます。小説ですが、独特の形式で描かれています。覇王織田信長の独白という形式で語られる部分と、有能で忠実な部下の明智光秀の独白という形式で語られる部分が交互にくるという流れで進んでいきます。織田家には光秀のような優秀な武将は他にもいるのですが、この小説では語ることはありません。全ては信長と光秀が一人称となって彼らの言葉でこの時代の武将たち…