宝永6年2月17日。辰(午前7時)過ぎ、文左衛門は源蔵・藤内と熱田へ出かけた。文左衛門は参詣し、そこから築出しあたりへ廻り、尾州西山派正覚寺の談林(学問所)へ寄り、住持と知り合いとなった。寺内本堂の側に霊亀の井戸があった。但馬仲頼へ出かけ、第□子覚ノ進と知り合いになった。ういろう餅を頂き、夕食を頂き、帰りにうどん・吸物を頂き、夕暮れ前に帰った。家蔵の古書・証文・系図などがたくさんあり、挙げればきりがなかった。神君の判、太閤の朱印、信長・信雄の下知文・福島太夫正則直筆の状などいろいろと数10通を見た。享禄2年に越州蒲原住紫雲山真光寺大勧進順海が寄贈したものであった。狩野和泉が描くものであった。仲…