映画、テレビドラマ、演劇、歌舞伎、能楽なので、役に扮する人。またはその職業。「俳優」「女優」とも呼ぶ。
本来は神事などの祭祀で特別な役を受け持つ人のことを指す言葉だったが、中世の猿楽以降、芸能ごとにおいて演技をするものという意味になった。
転じて、「駆け引きのうまい人」「立ち回りの上手な人」という意味でも使われる。
役者や俳優という仕事は大変だなと思ってきた。作品のキャラクターに成り切って演じる,というだけでも大変なのに,その演技に監督や演出家から注文がつく。さまざまなパターンを試したあとに最初のパターンに戻ることもある。いわゆる「Take(テイク)」を繰り返す。役者自身が納得することが重要ではなく,監督や演出家が納得することが優先される。 その演出があることで,役者自身が成長するとされている。役づくりの幅が広がるのだろう。それが役者のイメージも作り上げていき,そのイメージに役者も合わせていき,世の中のイメージが形作られていく。そして役者人生の途中で,新たなキャラクターを演出することで,世の中のイメージを…
元TOKIOの松岡さんが 「”女優”を”俳優”と呼ぶのはけしからん」 という発言が話題になっております 松岡さんは”女優”を”俳優”と呼ぶ風潮に対して 私は言い続けますよ 世の中が女優さんも俳優さんも、男優の方もみんな、“俳優で整えるんだ”“統一するんだ”みたいな風潮あるじゃないですか これは本当に間違ってますよ “女優さん”っていうのは特別なんです “女優さん”っていうのはみんながみんななれるもんじゃないんです 本当にごく一部の方々なんです だから、その女優さんには敬意を表して、“やっぱりこの女優さんは素敵だ”っていう称号ですよ、言うなれば、“女優さん”は と発言されました これに対して落語…
ハルク・エンタテイメント所属・演劇集団Fla9s(フラッグス)主宰の森川勝太さん まだまだ暑い横須賀。ただ夕方にはやわらかな海風が吹いていた今日。森川勝太さんからインスタのDMがとどきました。ハルクエンターテインメント所属の俳優さんですが、ご自身も演劇集団Fla9sを率いて活動されています。今回は、なんとなんと秋の公演のご案内。 このブログでも7月に掲載させていただきましたが『瀬木直貴監督』作品、筧美和子さん主演「オオムタアツシの青春」にも参加され、渋い存在感を放っていた森川勝太さん。この九州大牟田市を舞台としたヒューマンドラマ「オオムタアツシの青春」──も心温まる素敵な作品でした。 さてさて…
便利な世の中になったものだ。私が初めてニュージーランドに住んだときには、ネットもないし、日本の情報を手に入れるのって 日本から新聞や雑誌を送ってもらう 電話を日本にかけたときに聞く 手紙で知る 共同通信のFAX情報を知り合いを通じて借りて読む しかなかった。 が、今は海外にいながらテレビ番組だと翌日にはドラマだって見れる。ユーチューブのライブは「本当にライブ」で見れる。 1990年代に帰国すると「わ、知らないこの言葉」や「え〜、NHKのアナウンサーまで早口になっている!」と感じて、浦島タロコ状態だった。 今は、ほぼほぼ日本にいる人と変わらないタイミングで情報が手に入るし、喋りも聞いているので帰…
観測者としてのシェイクスピア ― 俳優への遺産 皆さんは、ウィリアム・シェイクスピアという人間をどのような人物だと思っていただろうか。 詩人か。哲学者か。夢想家か。それとも「人類最高の劇作家」という抽象的な称号の集合体か。 だが、ここまで彼の人生を辿ってきた今、はっきりと言えることがある。 シェイクスピアは、理想を語る人間ではなかった。 彼は「世界をどうあるべきか」とは書かなかった シェイクスピアの作品には、明確な倫理的結論がほとんど存在しない。 正義は勝つべきだ 愛は尊い 権力は腐敗する 人は成長する ――そうした「正しそうな言葉」は彼の戯曲にはほとんど書かれていない。 代わりにあるのは、 …
ストラトフォードへの帰還 ― 沈黙の選択 1600年代初頭。シェイクスピアは、徐々にロンドンを離れはじめる。 彼は突然姿を消したわけではない。だが、確実に第一線から距離を取っていった。 それは失敗でも、追放でもない。むしろ、十分に成功した者の選択だった。 シェイクスピアがロンドンを離れた理由はひとつではない。 史料から読み取れるのはいくつかの現実的な要因の重なりだ。 経済的成功 劇団経営者としての責任からの解放 疫病が繰り返される都市環境 年齢と体力 家族との距離 彼はすでに、地代収入、劇場からの分配金、不動産収入など、いくつもの収入減を持つ裕福な市民だった。 働き続けなければ生きられない立場…
晩年と和解 ― 破壊から再生へ シェイクスピアの後期作品を読むと、それまでの激しさとは明らかに異なる気配が漂っている。 権力闘争は影を潜め、復讐は完遂されず、破壊は最終目的ではなくなる。 そこにあるのは、和解、赦し、再生、そして手放すことだ。 この変化は、作家としての成熟だけで説明できるものではない。それは、彼が生きた時代の変化と、彼自身の人生の位置と深く結びついている。 エリザベス女王の死と時代の転換 1603年、長きにわたりイングランドを統治したエリザベス1世が崩御する。 彼女の治世は、安定と同時に緊張と抑圧の時代でもあった。 その後を継いだのが、スコットランド王ジェームズ6世――イングラ…
劇場経営者としての顔 ― グローブ座と現実感覚 ウィリアム・シェイクスピアを「孤高の天才」「貧しい詩人」として想像しているなら、それは事実とは大きく異なる。 彼は確かに天才だった。しかし同時に、非常に現実的で、計算ができ、社会を理解した人物でもあった。 シェイクスピアは、単なる“雇われ脚本家”ではない。 彼は俳優であり、そして劇団の株主(シェアホルダー)だった。 彼が所属したのは、ロード・チェンバレンズ・メン(Lord Chamberlain’s Men)。のちに王の庇護を受け、キングズ・メン(King’s Men)となる劇団である。 この劇団は、当時のイングランドで最も成功した演劇集団の一つ…
シェイクスピアが見た「人間社会」 ウィリアム・シェイクスピアが描いた世界には、必ず権力と群衆が存在する。 王がいて、貴族がいて、民衆がいる。英雄がいて、扇動者がいて、沈黙する多数者がいる。 そして彼は、そのどちらにも寄らなかった。 ロンドンという「世界の縮図」 16世紀末から17世紀初頭のロンドンは、世界でも稀に見るほど矛盾と緊張を抱えた都市だった。 王権は強大だが、常に不安定 宗教対立は表向き収束しつつも、地下で燻る 商業は発展し、貧富の差は拡大 人口は急増し、疫病は周期的に街を襲う シェイクスピアは、この街で生き、働き、観察していた。 彼は大学で政治思想を学んだわけではない。だが、現場で社…
崩れゆく世界とシェイクスピアの冷徹な視線 ウィリアム・シェイクスピアが悲劇を書き始めたのは、文学的な成熟の結果ではない。 世界が、悲劇的な相貌を露わにし始めたからである。 第6回で触れたように、彼の喜劇はすでに不安定だった。笑いは成立していたが、その下では常に、社会の亀裂と人間の脆さがきしんでいた。 そして16世紀末から17世紀初頭、イングランド社会そのものが、もはや「笑い」で覆い隠せない段階へと入っていく。 1. エリザベス一世晩年 ― 静かに進む不安の時代 エリザベス一世の治世後半、表向きイングランドは安定しているように見えた。 だが実際には、 宮廷内部の権力闘争 王位継承者の不在 カトリ…